さて歴史的10連休に入りました。
あいにく千葉は小雨、肌寒い陽気です。自治会の何でも展覧会が行われていてご隠居も写真を3枚ばかり出品して来ました。
前回の続きです。根津神社から先に少し歩いてみました。
根津駅から弥生坂に向かいます。
弥生式土器発掘の地という碑の前に出ました。
明治17年に根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺が発見されました。
これが後に発見地の地名をとり「弥生式土器」と名付けられました。
弥生坂から暗闇坂に左折します。
江戸時代にこの辺は森で暗かったので暗闇坂とつけたそうです。
分かりやすいですね。
東京大学弥生門の前に出ました。
まともに勉強しても逆立ちしても合格しそうもない大学なので素通りです。
もっとも左側の守衛さんの前を通って中はぶらぶらっ出来そうです。
夢二の美術館前に出ました。
竹下夢二の作品を好きな女性は多いようです。
あえて嵐山光三郎さんの「文人悪妻」というエッセイをさがしました。
竹下夢二は次々と女と同棲を繰り返した人気作家です。
最初は明治40年に岸たまきと結婚しました。教会堂の席に座ったたまきが聖書をひざの上に置いて泣いている「いのり」という絵があります。
この時はすでに離婚をしていましたが子供を身ごもっていました。
たまきという女性は東京美術学校を出て高岡で教師と結婚2児を生みました。
勝ち気で自由気ままな女性で評判の色白の美貌です。夫が死ぬと2児を預けて上京します。
たまきの魅力に取りつかれた夢二はうまく口説いて3か月で結婚して長男が生まれますが2年半で離婚します。
離婚したのち3か月後によりを戻し同棲して麹町の下宿でたまき30歳の時二男を生みます。
たまきと銚子の海鹿島に旅行して「宵待ち草」の詩が出来ました。絵だけでなく詩もうまかったのです。
ここではたきと旅行しながら「おしま」と言う女性に恋をして失恋します。忙しい男です。
たまきが35歳の時三男を生みますが夢二はこの時21歳の笠井彦乃とできていました。
笠井彦乃は夢二の弟子でした。
夢二は彦乃のあこがれの画家ですが前妻の子が2人もいます。その上彼女は20歳で結婚など考えていませんでした。
でも夢二にいいよられて体を許してしまいます。
その間に前夫人たまきが3人目を生みました。ここで彦乃は怒らなくてはいけないんですが。
彦乃の父は日本橋で紙問屋を経営している敏腕家です。夢二と娘が出来てしまったことに激怒、実家に連れ戻します。
でもその後もニコライ堂で逢引を繰り返します。その後夢二が京都に移りますが追っかけて行き同棲します。
夢二が描いた美人画の中で人気が高いのは彦乃をモデルとした絵だそうです。
その後また父が連れ戻しに来たりゴタゴタしました。
そして順天堂病院で25歳の短い人生を閉じました。美人薄命。
嵐山光三郎さんの「文人悪妻」は白秋、藤村、漱石など小説とは違った面が書かれていて面白い。
連休は何処に行っても混みますから暇つぶしに近くの美術館にでも行ってみましょうかね。
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