やっと秋田駅に着きました。
改札口を出てプロムナードには金足農業高校の垂れ幕がありました。
優勝したのかなと思ってみていたら祝の次に「準」の文字が小さくありました。
さて少し秋田の街を歩いてみました。
舗道も広くて気持ちの良い散策が出来そうです。日本中どこにいても奇麗な街並みになっていますね。
お堀が(千秋公園)見えてきました。
昼過ぎに行ったのにハスの花が咲いていました。
清楚ですよね。何処の蓮池に行ってもお釈迦様が葉っぱの上でたわむれていそうです。
城址公園の中に入ってみましょう。
先ずは佐竹資料館です。今日は休日でした。なんだなんだ。
千秋公園の広場。
秋田犬にふれ合おうということで各地にふれあい所が設置されています。
暑かったのでだれ気味です。
いつもはこんなに立派なんだぞう!
それでは坂を上がって表門に入ります。
長坂門
久保田城内の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当していた物頭の詰所。
振り返ってみるまた趣が違います。
八幡秋田神社。サルスベリの花が綺麗でした。
佐竹義堯(よしあき)公の銅像。関ヶ原の戦いの時挙動が良くなかったので睨まれて秋田に左遷されました。
常陸の国(茨城県)から国替えになった佐竹氏は秋田で20万石の城下町を築きました。
秋田に移るにあったって茨城の美女をみんな連れて行ったと言う話があります。
そこで秋田美人となるのですが残った茨城はどうなったのでしょうか。
久保田城御隅櫓(おすみやぐら)
場内に八つの御隅櫓の一つで市制100年を記念して復元されました
早速登ってみましょう
櫓は「矢を射る座(くら)」すなわち見張り場としての役割と「矢倉」すなわち武器庫としての役割を持っています。
展望室までの展示物です。
秋田美人のポスターです。
ご隠居もサラリーマン時代秋田には仕事で非常に縁がありました。
ある時湯沢の製材所の社長さんに「秋田美人と言うけどあまり合わないなぁ」と言いました。
「オメェ。美人はみんな東京に行っちゃって、ゆんざわ(湯沢)にはいねえんだ。いるのは子供とばあ様だけだ。うちのおっかあだって若い時は東京にいて美人だったけど今じゃ期待にこたえられねや」
とか言っていました。
天守閣ではないんですよね。とにかく屋上から穏やかな秋田の町並みが見えてきました。
ご隠居がいた頃は冬になると秋田は何処に行っても真っ白な景色になりました。
特急いなほがマスクをしたように前面真っ白にして窓だけがわずかに見えるような状態で日本海を疾走していました。
最近は雪も少ないのでしょうか。そして電車ではなく車での移動でしょうね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます