村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

127.人間は、なぜ堕落するのか「ほどほどでいい主義」の勧め:普通の人間、普通の国を目指せ

2007-12-13 17:45:59 | 人生
戦後、日本は本当に貧しい時期がありました。しかしその貧しさから脱出するために日本人は家族も寝食も忘れて、猛烈に働きました。
気付けば、一時期、日本は世界一なんてことにもなっていました。
貧乏のどん底からの日本の高度経済成長路線は、いくつかの結果をもたらしました。
 ①物質的豊かさ・裕福さ
 ②人の労働が激減・便利さ
 ③生きがい喪失
 ④経済大国化
 ⑤欧米化
 ⑥合理主義
 ⑦効率優先
 ⑧使い捨て
 ⑨世界的競争主義
 ⑩実力主義
 ⑪マネーゲーム
 ⑫格差社会
それによって日本や日本人の良いところは、惜しげもなく、ことごとく失われていったというより、すすんで捨てていったのです。
ところで、話は私のことになりますが、
私は、他人が思っているほど、金持ちでもないし、頭も良くはないし、ハンサムでもないし、腕力が強くもないし、平均より少し上ではありますが、何か特に秀でたものは何もありません。
若い頃は、そういう自分に劣等感を持ち悩んだものです。まあそのおかげで勉強もし、一流大学にも入れ、一流企業にも入って、頑張ってこれたのではありますが。要するに、自信を持てるようなものが特別無かったし、今現在もないのです。64歳になっても、未だにその状況はたいして変わりませんが、64歳になった今は、そういう”普通の人間の自分”で良かったと思い直しています。
もし、何かに特別秀出て、飛び切りの美男子や金持ちや秀才や権力者になり、それらを保つために人知れず必死に頑張ってきた自分を想像すると身の毛がよだちます。そこそこ駄目人間のおかげで、他人の目も気にせず、誰に気兼ねもせず、時々好きなことを自分の思う存分やってきたことを幸いに思っているほどです。まあ駄目なりに、頑張ってはきましたが、例えばイチロー選手なんかに比べたら無いに等しいでしょう。
何かに秀でた人の多くは、はたから見ると羨ましい限りですが、本人や周囲の人々にお聞きすると必しも、それほど幸せではないようです。
冷静に考えてみて、何かに秀でることは、寝食を忘れて、自分を犠牲にしてまで必死になるほど、自分にとってそんなに大切なこと、価値あることなんでしょうか?ひょっとして「幻想」「思い込み」「錯覚」「恐怖感」ではないのですかね?

・日本も経済大国になって全て良かったのかというと、そうでもなかったですよね。ずいぶんしんどかったし、結果的に失ったものも多いですよね。
・オリンピックでメダルをとった選手も、普通の人が思うほどそんなに良いことではないそうです。
・有名人というのも、他人が見るほど楽でも楽しいものでもなく、相当にしんどいもののようです。
・会社の社長とか取締役なんてのも、本人に聞くと給与や見かけの処遇は素晴らしいが、実態はさほど楽しい・うれしいものではないようです。
・金持ちとか有名人って、付き合ってみると「嫌な奴」が多いですよね。それよりも普通の友人や家族や親戚のほうがずーと楽しいんですよ

金持ちや有名人や達人や名工や有名人なんか、目指すもの憧れとしては良いとして、現実の問題として、そんな人と年中付き合いたくないですよね。
ことほど左様に秀でたものを過剰に求めることや、秀でた他人を過剰に賛美することも、もういい加減止めにしませんか?

それどころか逆にさほど秀出ない・さほど贅沢しない・それほど素晴らしくないことを求める心は、すごく良い効果をもたらすのです。
私は「貴方はすごい人・優れた人」と言われるより、「貴方は普通の人だ」と言われるほうが嬉しい今日この頃なんです。そのほうが力まず、ずーっと楽ですし、他人の目をいちいち意識しなくてもすみますよ。
金や力や能力にまかせてなんでも容易に手に入れるのは、結果的に人間を欲深にし、横着にし、人間を堕落させます。そして幸福感さえ奪ってしまう場合も多いのです。そういう歪んだ、横着な生き方・暮らしを続けていると、長い年月かかって、人間は知らぬ間にどんどん孤立・疲労・崩壊・堕落して行くもんなんです。
会社なんてのも安定した大企業より、ベンチャー企業で、売上げを上げる・利益を上げる努力を必死になってやっている会社で働くほうがいろいろな面で良いのです。会社が安定し利益も得られるようになったら、むしろ発展途上の会社に転職したほうが良いのですよ。
そういう点で日本や欧米のように大国の人間や若者は、知らず知らずに堕落しているんです。日本の若者は、高い所得や福利厚生の会社に勤めるよりも、日本の明治維新やアメリカの開拓時代のようにもっと困っている地域や事業に進んで、自分の身を投じるべきですよ。
最後に、私のやっているごくごく身近な例を二三あげてみましょう。
 ・食事の例:お店に入ったらそこの店で、できるだけ安いものを頼む
 ・物を買う例:買わずに、ありあわせのもので工夫する
 ・冷蔵庫の中の例:冷蔵庫の中を一杯にしない
まあ何か節約家や我慢家みたいな感じですが、外見は似ていますが、中身は全然違うのです。ケチやセコイというのは、考え方や精神が卑しいですが、私の言う「ほどほどでいい主義」は、人間のあるがままを肯定するということです。別にケチでもなくセコクもないのです。徒に、より多く、より高く・より良く・より楽などを求め過ぎないことです、そういう行き過ぎた欲求によって人間の本質が歪まないようにすることです。あるがままを受け入れ、結果を求めず、精一杯頑張る、誠心誠意心を込めるというようなことでしょうかね。イメージで言えば、つつましく・明るく・元気で・楽しそうで・おだやかで・控えめで・きちんとしていて・しかも堂々としているという感じの人ですかね。
高いお金出して、高級なグルメなんか追い求めると、すぐに飽きますよ、汗水たらしてお腹すかして食べるおにぎりや一杯の水のほうがどんなに美味しいか、そういう心境を理解し実践することがずーと大切なことなんだと思います。
そういう人が貴方の周囲におられますか?又は貴方自身がそういう感じですか?もしそうであれば貴方は幸せですよ。

なんでもお金や成績に換算するのが欧米流ですが、こういう生き方は早く結果を出すのに良いかもしれませんが、安易にこんな生き方をしていると「お金が儲からない(得しない)ことはやらない」という人間の横着さ・人間の悪い面を更に助長することになります。

私は最近、権力者・秀才・美人・美男・お金持ちの人を見ても全く羨ましいとは思わなくなりました。
むしろそういう人を見ると”哀れな人でなし”と見えるのです。
浅ましい・愚かしい・おぞましい・亡者そのものです。

彼らの一生は長年、他人に自分を認めさせる生き方が染み付いていて抜けないのです。あのイチロー選手や超人気の有名人でさえ、そういうところがかなりあります。世間から有能と言われる多くの方々は、一時たりともすきを見せません。

一ことで言うと、
大切なことは”亡者”にならないことです。普通の人間であり続けることです。どんなに優れても、恵まれても普通の人と同じレベルの生活をすることですね。
もし相当のお金や資産や権力や優れた能力が得られたら、惜しげもなくその多くの部分を他人に与えるくらいの普通さが大切なんです。
しかし、そういう亡者は、得たものは絶対に離しませんし、他に与えるなんてことはしません。そういう話はあまり聴きませんし、もしそういうことがやられていれば、格差社会という問題も起きないのですが、彼らは自分が損するようなことはしません。彼らは”普通の人間”という素晴らしいものを失って久しい亡者なんです。
私は、そういう人にはなりたくないし、間違ってもそういう人は尊敬なんかしません。私はあれほどの実績を残しているイチロー選手の半分は尊敬しますが、残りの半分は哀れだなーと思うのが正直なところです。現実の地球や世の中は残念ですが、今後も、ますます”亡者”で溢れて行くのです。
村上和隆の人生
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