関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)
※お知らせ:今後は毎日掲載できなくなります、やや日があきますが了解下さい
21.今年も滋賀県安曇川の支所開設
例年のように、4月に、京都の事務所から、春~秋用の滋賀県高島市安曇川の支所に移った
都会で事業をする必要のない人は、過疎の山で仕事をする私のようなやり方を真似て欲しい
毎年のことながら山の春は気分が良い、特に5月迄が素晴らしい、山は正に独り占め状態
今季は、例年になく雪が多かったようだが、春の訪れは、例年になく軽快で爽快なものだ
平地より10日遅く、桜が今満開、植えて9年目にしてやっと木全体に、見事な花が咲いた
春4~5月は、桜・スミレ・木の芽・新緑・小川のせせらぎの音・鳥の声・一雨毎の変化
安曇川の山中に、のんびり私一人なんて、世の中何か不自然、都会の人々は忙しない
都会の人は山を忘れてしまったのか?海外や繁華街や観光スポットに足が向いている
都会人は、どんどん自然から遠ざかっていく、都会は人口過密化/山は過疎化
山の麓の長尾の一帯付近も、腰の曲がった、日焼けし、皺の深いご老人ばかり
都会人には耐えられぬ厳しい冬を越して、それでも毎年やってくる春の到来を喜ぶ
一頃、地元の人も「昔は豪雪地帯だったが、温暖化で雪が少なくなった」と言っていた
しかし、何故かここ数年雪が多い、お年寄りには、大雪はさぞかし、つらいことだろう
山の自然の中で長く暮らしてみると、特別何もなくても楽しみや喜びが見出せてくる
物好きにも私は10年前から山で一人暮らし、支所でコンサルタントの仕事をしている
自然以外に何もない、こんなところで何が楽しいのか?と周囲の人から質問が来る
楽しいというのは都会で買い物して、グルメを食べて、出歩いて、騒いぐことなのか
私などは、まあ一口で言えば「へそ曲がり」「変人」「阿呆」「根暗」「ロマンチスト」なのか
私は体力も才能も美貌もない能無しもいいところ、とりあえず頑張るだけでやってきた
でも今は、「自分の人生はこれで良かった」と自分の無能さに感謝し、愛着さえ覚える
若い頃は、そのことに大いに悩んできたが、それが私に与えられた特性だったらしい
無能な者も、やりようで、案外素晴らしいものだ、楽しいものだ、能無しは無用ではない
今は、無能な子に生んでくれ努力の大切さを教えてくれた親に、むしろ感謝している
時々月2回くらい、電車に乗って都会に帰る、あの世から現世に戻るような感じがする
都会は山中の自然とは全くの別次元で、機械と物と人と喧騒と情報とがどよめいている
しかし、つながれた犬や籠の鳥のように、人々には、穏やかさ・活力・喜びを感じない
都会の人は、自然の暮らしを捨てた代償として、そいういう暮らしを、深く馴染んでいる
人間の価値観は、ここ百年、すっかり変わってしまったが、人はそのことに気づかない
一人、山で、都会から離れて、暮らしをしてみると
一体全体、人間の暮らしとは、生きるとは何なんだろう?
どう暮らすのが、人にとってふさわしいものだろうか?
最近のことだが、次のようなことを思って、実行している
都会人のしがらみを、可能な限り身軽にそぎ落としてみよう
金もないし、そぎ落として身軽になるのも良いかもしれない
身軽にというのならば、徹底して身軽になってみようか
身体ばかりか心もメタボ、心のメタボ対策のほうが先かも
簡素で身軽な生き方のほうが、長生きもできるかもしれない
バイクに乗る歳でもないが、田舎道を安曇川の町まで
20分くらいかけて買い出しに行く、往復久々に緊張する
願わくば、もう少し暖かくなって颯爽と走りたいものだ
昨年までの四輪自動車の快適さを、思い知らされる
都会オンリーの暮らしを捨て田舎暮らしを始める方・都会と田舎半々の暮らしを始める方
私が10年山で暮らした感想は、暮らす場所は山仕事は都会でが理想的だということ
世の中の有識者という頭の良いご立派な方々を信じて生きてきたがまんまと裏切られた
利益を享受するのは、有識者や権力者であって、市民は、その動力源でしかない
無能で利己主義の政治家の下では、便利・豊かさがいつまでも保証されいるのでもない
政治家や有識者に頼るな、彼らは私達をいかに巧みに、騙すかしか考えていない
「人間よ自然に戻れ」あまりもう時間はないぞ、戻るなら今しかないと語っているように思う
このたび村上和隆人生塾を開校しました。
日本人自ら心の再生をしようではありませんか?
村上和隆人生塾のホームページへ
村上和隆の会話塾
村上和隆の会話ブログ
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21.今年も滋賀県安曇川の支所開設
例年のように、4月に、京都の事務所から、春~秋用の滋賀県高島市安曇川の支所に移った
都会で事業をする必要のない人は、過疎の山で仕事をする私のようなやり方を真似て欲しい
毎年のことながら山の春は気分が良い、特に5月迄が素晴らしい、山は正に独り占め状態
今季は、例年になく雪が多かったようだが、春の訪れは、例年になく軽快で爽快なものだ
平地より10日遅く、桜が今満開、植えて9年目にしてやっと木全体に、見事な花が咲いた
春4~5月は、桜・スミレ・木の芽・新緑・小川のせせらぎの音・鳥の声・一雨毎の変化
安曇川の山中に、のんびり私一人なんて、世の中何か不自然、都会の人々は忙しない
都会の人は山を忘れてしまったのか?海外や繁華街や観光スポットに足が向いている
都会人は、どんどん自然から遠ざかっていく、都会は人口過密化/山は過疎化
山の麓の長尾の一帯付近も、腰の曲がった、日焼けし、皺の深いご老人ばかり
都会人には耐えられぬ厳しい冬を越して、それでも毎年やってくる春の到来を喜ぶ
一頃、地元の人も「昔は豪雪地帯だったが、温暖化で雪が少なくなった」と言っていた
しかし、何故かここ数年雪が多い、お年寄りには、大雪はさぞかし、つらいことだろう
山の自然の中で長く暮らしてみると、特別何もなくても楽しみや喜びが見出せてくる
物好きにも私は10年前から山で一人暮らし、支所でコンサルタントの仕事をしている
自然以外に何もない、こんなところで何が楽しいのか?と周囲の人から質問が来る
楽しいというのは都会で買い物して、グルメを食べて、出歩いて、騒いぐことなのか
私などは、まあ一口で言えば「へそ曲がり」「変人」「阿呆」「根暗」「ロマンチスト」なのか
私は体力も才能も美貌もない能無しもいいところ、とりあえず頑張るだけでやってきた
でも今は、「自分の人生はこれで良かった」と自分の無能さに感謝し、愛着さえ覚える
若い頃は、そのことに大いに悩んできたが、それが私に与えられた特性だったらしい
無能な者も、やりようで、案外素晴らしいものだ、楽しいものだ、能無しは無用ではない
今は、無能な子に生んでくれ努力の大切さを教えてくれた親に、むしろ感謝している
時々月2回くらい、電車に乗って都会に帰る、あの世から現世に戻るような感じがする
都会は山中の自然とは全くの別次元で、機械と物と人と喧騒と情報とがどよめいている
しかし、つながれた犬や籠の鳥のように、人々には、穏やかさ・活力・喜びを感じない
都会の人は、自然の暮らしを捨てた代償として、そいういう暮らしを、深く馴染んでいる
人間の価値観は、ここ百年、すっかり変わってしまったが、人はそのことに気づかない
一人、山で、都会から離れて、暮らしをしてみると
一体全体、人間の暮らしとは、生きるとは何なんだろう?
どう暮らすのが、人にとってふさわしいものだろうか?
最近のことだが、次のようなことを思って、実行している
都会人のしがらみを、可能な限り身軽にそぎ落としてみよう
金もないし、そぎ落として身軽になるのも良いかもしれない
身軽にというのならば、徹底して身軽になってみようか
身体ばかりか心もメタボ、心のメタボ対策のほうが先かも
簡素で身軽な生き方のほうが、長生きもできるかもしれない
バイクに乗る歳でもないが、田舎道を安曇川の町まで
20分くらいかけて買い出しに行く、往復久々に緊張する
願わくば、もう少し暖かくなって颯爽と走りたいものだ
昨年までの四輪自動車の快適さを、思い知らされる
都会オンリーの暮らしを捨て田舎暮らしを始める方・都会と田舎半々の暮らしを始める方
私が10年山で暮らした感想は、暮らす場所は山仕事は都会でが理想的だということ
世の中の有識者という頭の良いご立派な方々を信じて生きてきたがまんまと裏切られた
利益を享受するのは、有識者や権力者であって、市民は、その動力源でしかない
無能で利己主義の政治家の下では、便利・豊かさがいつまでも保証されいるのでもない
政治家や有識者に頼るな、彼らは私達をいかに巧みに、騙すかしか考えていない
「人間よ自然に戻れ」あまりもう時間はないぞ、戻るなら今しかないと語っているように思う
このたび村上和隆人生塾を開校しました。
日本人自ら心の再生をしようではありませんか?
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