村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

535.都会人が連休の混雑時に旅行するという習慣

2022-05-01 10:17:26 | 観光
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●一人で悩み過ぎちゃ駄目。気軽に何でも相談にお越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」
人は、自然に沿い、そして自然に一体化することだ
 捨てる:自分を捨てる 人も捨てる 過去や世間をも捨てる

 滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)地図
●安曇川案内や田舎暮らし案内もします、お申しつけ下さい

村上原基人生勉強会  kazutakajiのtwilog  

やれと言うがやらず、やめろとうがやめない、だから変わらん
やめるべき事をやめ、やるべき事をやるのが自然な人生の第一歩
世の中は便利で豊かで自由で安全安心と思うのは大きな錯覚
平和や健康や豊かさは必しも平和や健康や豊かさではない
高齢でも健康なためには日々身体を動かし、負荷を与える事
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テーマ:都会人が連休の混雑時に旅行するという習慣
歳とったらやたら動くな!地元で静かに根を生やす暮らしを
動くということが環境負荷を増やし、温暖化を加速してしまう

連休になると都会の人々はやたらと旅行に出掛ける
当地のような自然の中に住んでいると、休みになると
都会から多くの人がやって来る。
そんなに田舎に来たいのであれば私のように田舎に住めばよい
京都に住んでいた頃も同様に関東などから多くの人がやって来た
そんなに京都に関心があれば私のように京都に住めばよい
私は東京⇒大阪⇒京都に引っ越し今は滋賀県の田舎に住んでいる
「私京都が大好き」などと勝手なこと言うが私に言わせれば
「京都に10~20年住まないで、好きかどうかさえも分からんだろうが」
それを京都観光で誤魔化すなんて、何とも姑息で情けないと思う
「そんなに好きなのになぜ京都に住もうと思わないのか?」
「自分のしたいこともしないで人生終わって行くのか?」


元コテコテの都会人だった私としては気持ちは理解出来るが
ここ25年山や田舎に住んでいる私からすると、「一体
何やってんだい」「少し考え直したらよいのに」と思わず
にはいられない心境なのだ。禅宗の坊さんではないが「喝」
と一撃を与えてあげたい思いがするのだ

最近中国や東南アジアから日本観光に来る外国人が増えている
これなども「東京という物で溢れ、きらびやかな都市を見たい」
という単なる物見遊山
に過ぎない。もし本当に日本を知り
たければ大都会観光旅行だけでなく外国人でも田舎や日本の自然を
隅々まで観て欲しい、しかも外国人に更にそういう場所に数年
住むようなことも出来れば実現して欲しいものだ、日本を表面的
に観て、安易に一方的に好かれてもどうかと思っている
表面的な浅い日本観察・分析は外国人にして欲しくはない
世界に冠たる日本文化をより深く理解して欲しいのだ
無論、日本人自身が日本を正しく理解出来ていないのだから
外人に希望するのも無理かもしれないが、むしろ外国人のほうが
日本の良さを理解できるのかもしれないのだ


多くの人は本物より嘘誤魔化しのほうが楽とか好都合と考えている
多分、我慢や金がないからではなく、意欲・気力・探求心がないのだ

私も都会に住んでいた頃はやたらと旅行したものだ
海山などの自然や田舎や庭などに飢えていたものだが、
55歳で山や田舎暮らしに変わると、さほど旅行したい
とは思わなくなった
多分私が長年都会暮らしで溜まっていた閉塞感・束縛感
・つらさ・ストレスから解放されたからだろう

所詮観光旅行などというものは物見遊山=嘘誤魔化しに過ぎない
人はとにかく嘘誤魔化しにお金や時間をかけたがる
その嘘誤魔化しが素晴らしく、意味あるものと錯覚するようになる
最近の新型コロナウイルスでも当地では飲み屋とか
外食なんて全く問題にならなかったが、都会では大問題だった
とにかく都会は溜まるストレスのハケグチが必要らしい

ところで孔子の論語の雍也第六の二十三
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽
【子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、
仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し】

都会の人にはかなりの頻度で息抜きが必要らしく、可哀そうだ
私は長年の都会暮らしを捨て田舎に移り住んだことで解消した
素晴らしいはずの都会暮らしが、息詰まるという事が不思議では
あるが、都会は人で埋め尽くされ、その人の数だけ嘘誤魔化し
が渦巻いている。人はそのストレスに耐えられないのだろう

観光旅行というのは、わざわざ遠くに行き、そして溜まった心のゴミ
をかき捨てるのだろうが、その結果として
当然大きな環境負荷になり、環境悪化要因になる
政治家や企業経営者は大事な経済活動だと言うだろうが
 やたら動くな!そして自分自身を見つめ直せ!と大声で言いたい
動かなくても、日々心の底から満たされる場所に移り住め

都会の人がやたらに旅行に行くのは、多分都会暮らしには
①自然がない
②空気が汚い、臭い
③狭苦しい、息苦しい
④自由がない、出来ないことが多い
⑤人が多すぎる、人との関わりが強い
⑥狭い家でじっとしている
⑦都会暮らしに疲れる
⑧景色が画一的
⑨苦しみ悩みが貯まる
⑩行き詰まる

都会暮らし経験者の私にしてみると、都会を捨て田舎暮らしして
しまえば価値も意味もないどころか、弊害が多い事に気づくはずだ

都会人「いやそんなことはない、都会の暮らしは凄く良い」
田舎人「そんな事言うのなら混雑中に旅行しなくてもよい」
と言いたいが、無理して都会にい続けるとノイローゼになる
のがおちだろう

田舎住まいの私はときどき京都の家に帰るが京都での
用事が済むと一刻も早く田舎に戻りたくなるし、旅行
なんかしても、同様にすぐに帰りたくなる
昔京都に住み始めた頃、京都は最愛の街だったが、今や
フル女房のように、そこから逸早く逃げ出したいほどなのだ
”観光したい街上位の京都”も私にかかると”逃げ出したい街”
定年後、家でゴミ同然に扱われる哀れな老人男のように
都会の人は年中常態的なストレスにじっと耐えているのだろう

でも、その結果というか、田舎暮らしの私は、少しづつ
確実に田舎ペー・田舎者になっていく。反対に都会の
人は都会暮らしで垢抜けしているのは、間違いない
そこだけは野暮ったい田舎人が少し注意し努力しないといけない
でも都会の人が垢抜けしているのは、あくまで表面的な事に過ぎ
ないと思っているし、垢抜けが必しも良いとは私は思ってない

田舎に住んで気付くことがある、田舎の人は会話下手だ
話題の範囲が狭く、あわただしい都会の生活を実体験して
ないし、どうしても都会の人に対してや会話の内容に自信がない
ためだと思う。現実は残念ながらそのとおりだと思う

でもその”もの知らず”は都会人にも言えることであって
「都会人のもの知らず」的なことも意外にある
すなわち例えば東京の人は東京の事しか知らない  例えば
私が大阪京都に住んで気づいたことは、東京の人は関西のこと
は全く知らないし・理解もしていない、だから私にしてみると
東京の人のあまりの了見の狭さを実感したものである
そういう意味では関西の人のほうが東京のことは理解している
東京の人は私どもの田舎のことは全く知らないし理解していない

こういう私の経験から更に言えることは物事をよく知り理解
しているはずの例えば有識者とか政治家とか先生なんて人が
おちいり易すいのだが、「よく分かっているはず症候群」
なのである。そういう妙な誤った自覚を、都会の多くの人達が
安易に持ってしまっているのである。簡単に言うと偏屈なのだ
素直に何にでも興味を持ち、深く考え吸収し多くの体験を重ね
既存の知識経験を熟成していない人達になり易いのである

私が常々思うのは、豊富な経験と知識と深い思考及び自然に
学ぶ事で人は物事を正確に理解出来るようになるということだ


また都会人は自然や田舎の暮らしとか、京都の本当の姿に
ついては丸で分かっていない、あくまで上っ面を僅か知る
だけで、私の経験でも「都会で結構中上流の人」でも
意外に何も知らない、簡単な事でも出来ない人が沢山いるし
先生と呼ばれる人で常識や基礎的な事が丸で出来ない人も多い
すなわち、特に大都会の人は「俺らは何でも知っている」という
思い上がりに陥り易いということを自覚し反省すべきなのだ

例えば田舎で山菜取り・鮎釣り・野菜栽培・ちょっとした大工
   チェーンソー・木の剪定・虫を捕まえる・タケノコ堀
   梯子・薪割りなんかやらしたらからきし出来ない

まあ田舎ペーの私からしたら失礼ながら役立たず、頼れない人
特にいざとなると全然便りにならない
例えば
テレビで物知りを競う番組があって東大生が上位を占めるのだが
私はあんな意味のない低俗なものは即刻止めるべきだと思っている
「木を切る電動工具名なんでしょう?」「チェーンソー」「正解」
なんてことでなくチェーンソーを巧みに使えることのほうが大事
なのだ、しかもどんな木でもどんな状態でもきちんと切れること、
そういうことは山に暮らして多くの木を切る体験をしていないと
無理なのだ、そういうことが現代では、平気で欠落している

私は、都会の一見華やかな嘘誤魔化しより師と仰ぐ自然について
深く知っているほうがずーっと大事
だと思っている
厳しい社会経験や田舎体験が少ないため、見識が浅い、狭い先生
も沢山いる「こんなのが先生なの?」
「よくこんな人が子供に教えていたなー?」なんて先生も多い
「自分達は何でも知っている」都会人や先生の知ったかぶりだ

今はテレビでもネットでも日本や世界各地を知ることは
可能だから旅行しなくても努力次第でどうにかなる
ましてや私のように24年東京、10年大阪、27年京都に
暮らしていたから、結構多くの場所で多くの経験を
積んできた。だから今更、都会をはじめ観光地に行き
たいなんて思うことはない。多くの企業も経験してきた

多くの環境に住み、多くの会社で働き、多くの土地を訪問し、
多くの本を読むなんてことは遊びとしてではなく、若い時に
真剣にやっておかねばならない。そうでないと意味がない
「老後は二人で日本中を旅したい」だって「勝手にやっとけ‼」
ドタバタ観光や旅行は若い時にやるもので、いい歳して老後に
金も暇もあるからとドタバタ旅行なんかすれば、なんの価値もなく
単なる無駄金や資源の無駄使いや環境汚染行為に過ぎない

私は若い時や更に55歳から経営コンサルタントとして
全国を廻っていたから今更あちこち行きたいなどと思わない
年取って各地を観て廻ったところで何の改善にも結び付かない
観光地や都会の人工的な箱物や加工された自然にもうんざりする
その上、観光地はとにかくすごい混雑が苦手だ、人ごみを観に行く
ようなものだ

当地滋賀県安曇川は観光地ではなく訪問者は少ない
箱物は極めて少ない。京都に比べると豪華な寺や庭も少ない
観光まがいの店もほとんどない。バスや交通手段もあまりない
有名ではないが自然豊かで平凡だがゆったり出来る場所は沢山ある
だから都会から絵を描きに訪れる人は多い

私はかつてのように京都もほとんど観光しない。
京都はいかにも自然を取入れているようだが、金や漆を塗りたくり
宮大工や庭師が手間をかけて出来上がっている自然とは大きく
かけ離れたもの
で、私などにはゴテゴテした作り物で全くの
興ざめでしかない

お金をかけ過ぎていると今に京都市は維持出来なくなってしまう
京都も絢爛豪華な文化財によって財政が更につらくなりそうだ
観光地というのは所詮、金かけて人工的に豪華版にしたものだ
京都にやたらある いかにも有難そうな仏像も庭もウンザリだ

仏像にいくらお金をかけても本質は仏でもなく物に過ぎない
火事にでもなれば単純に炭になるだけのことだ
嘘ぽい仏像より素朴な石の地蔵さんや紙に書いた仏像や
季節の1輪の花でも飾っておけば十分なのだ
国宝と言えば有難いとなるが、ゆくゆく財政破綻になりかねない


例えば桜なんて京都なんかより安曇川のほうが数倍見事な所が
近所に沢山あり、しかものびのび自然であり、混雑もない
ところが都会の人々はそんな安曇川の桜なんか見に来ない
なにしろ一斉に京都の寺や庭や山にドッと押し寄せる「アホや」

昔京都住まいの時に、さんざ京都観光したし、今となっては
京都ブランドが何でも特段素晴らしとは思わない、もうタクサン

少なくとも今後東京などの都会は無論のこと、観光地にも
行きたいとは思わない。動くよりも、じっと留まって自分自身を
深く見つめて行きたい。京都に行く、観光地に行く・・・
そういうことが自分自身を見つめることに役立たなければ
何の意味もない。「もう79歳、私ももう餓鬼じゃないのだ」
やたらに意味もなく動き回るというのは尻の青い未熟な若者の
することに過ぎない

ところで今住む安曇川の田舎町は土地152㎡建坪平屋で62㎡の
庭・駐車場付の中古良質住宅だが6年前に350万円で購入した
ちゃんとした戸建て住宅
同じ広さの中古住宅を京都で買えば2000万円以上するだろう
付近に空き地や川や畑や山もあって住みやすい場所である
このくらいで買える場所を私は住む場所としてお勧めする
家の価格が1000~2000万円もする場所は私はお勧めしない

それが私にとっての経済学である=儲けようとしない経済学

私には自然との対話、自然に学ぶことが目下の
一番の楽しみであり、唯一の親友であり師
である
つまらん息抜きや観光に行って嘘誤魔化しに接すること
など私には何の意味も価値もなく、むしろ不快でさえある

ところで日本人とかアメリカ人とか京都人とか、人を
区別するのが普通ですが、私はそんなつまらんこと
には一切拘らなくなった。そんな言い方したところで
「人間は人間に過ぎない」というのが私の考え方
そんなことに拘って他国のことに関心を持つより、
もっと自分自身のことを深く見つめ直すべきだと思う

だからという訳ではないがあちこちやたらに行くのも
あまり意味を感じなくなったのだ
どこに行っても人間が暮している事には変わりがない
変わるとすればその地の人がどういう嘘誤魔化しをして
いるかという事に過ぎない、すなわち温泉とかグルメ
とか町の景観とか寺や庭とか・・・
私はそんなものに
あまり関心がない。それより自然豊で静かな田舎が一番
なのだが、都会人にはそういう素晴らしい帰るべき場所
がないだけのことだ。いつの時代も華やかな都会の人は
嘘誤魔化しの暮らしをストレスに耐えているということだ

地球環境問題異常気象が問題になっている今日、
あまり動きまわるのではなく一番住みたい場所に
移り住み、そこからあまり動かずに日々の暮らしを
楽しむようにしようと、最近は環境に良い「無駄な
旅行はしない」
を79歳の私のモットーにしている
歳とったらあちこち出掛けないで地元で静かに根を
生やし暮らす「老後の暮らし方についても自分自身の
独自の意見をもち実行して欲しい」


自動車・高速鉄道・ジェット機など移動手段が開発
されたことが結果的に地球の滅亡になりかねない
エネルギー輸入禁止による不足や高騰があり、
暮らしを見直し静かにじっと地味に暮らすように
生き方を変える事を強く提案してやまない
エネルギーを過剰に使う暮らしには限界がある
無論私などは今度のような事態が来る前から、
当然のこととしてすでに田舎で最大限の節約を励行している

ロシアが許されないひどい戦争をして世界が混乱させている時に
もしロシアを責めるならば、同時に欧米や日本の私達も自分自身
の生き方や暮らし方も責めるべき時だと思う
例えばあまりに便利で贅沢な私達の暮らしのスタイルや
やたらに観光旅行やドライブやスポーツ競技などで動きまわること

それが唯一この最悪な戦争を結果的に意味あらしめる道だと
思っている。今や世界中の贅沢をせいぜい半分に減らすべき
時だと思っている
ガソリン・ガス・小麦の入手困難になりそうだが、私はすでに
かなり以前から大幅にそれらを減らしている

二宮金次郎
「大農は草を見ずして草を刈る、
 中農は草を見てから草を刈る、
 小農は草を見ても草を刈らず」

今度のロシア侵攻はロシアが悪いのは明白であるが、こんな
異常で恐ろしい大国の指導者がいることに背筋が寒くなるが
この際自分達も反省し、これまでの生き方暮らし方を見直し、
改革しようじゃありませんか
それが結果的に反ロシア陣営を強くし、ロシアを弱体化させる
早道だと私は確信している
ロシアや中国に依存しているものを排除して行くことが大事で、
依存しなければ関係がこじれることもないが
そういう点では、中国などに大きく進出している企業の株は怖い
中国と紛争が起きれば、これら企業の中国内の施設・設備は強奪
される恐れが十分あることを覚悟すべきだから「危うきに近寄らず」
「大きな問題・困難な問題ほど争って解決すべきではない」

これからの時代は
 勝つより負ける
 進むより退く
 動くより動かない

そうなれば高速鉄道も都会の朝晩の混雑も無用
過密な都市も無用原子力発電所も無用無駄な争いもなくなる
とならないでしょうかねー?


クンシラン実に美しい、4~5月は室内の明るい日陰だが
開花期の今は、涼しい玄関に置き長く楽しめている
水やり:通年、用土の表面が乾いたらたっぷり与える
肥料:4~6月と9月に、緩効性化成肥料や油かす・骨粉
今後株分けして増やす予定

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