村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

449.親や上司は、「嘘をつくな」と嘘をつき

2018-02-28 13:11:57 | 人生
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台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
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親や上司は、「嘘をつくな」と嘘をつき

貴方は嘘誤魔化しについて真剣に考えたことがありますか?
空気と同様に毎日・毎時間あまりにも当り前になっているので、全く考えない
ほとんどの苦しみ・悩みなどの元凶は嘘誤魔化しなんですがねー
嘘誤魔化しは、貴方の一番仲の良い親友で、良き友であり、悪しき友である

はたして、その長年の悪友とお別れするには???

私は、東京から大阪更に京都へ、会社も松下電器から近所の町工場
更にロームそしてコンサルタント会社を経て自営し、家も都会から田舎へ
55歳から滋賀県安曇川の山でひっそり20年暮し続けて感じたのは
都会の嘘誤魔化しが、あまりにひどいこと、・・・ 遅まきながら気づいた
現代は何でも出来る時代だが、私のように山奥で20年も暮らす人は少ない
僧侶も多く都会暮らしをしているが困ったものだ、僧侶・寺は山奥にあるべき
都会人は「生まれて以来、嘘誤魔化しを続けているなどと思ってもいない」
それほど、すっかり嘘誤魔化しにどっぷり浸かっている

都会暮らしの私が山で20年暮した結果、自ずと嘘誤魔化しについて分かってきたが
都会で「貴方は嘘誤魔化しをしています」などと言っても、怒られるだけだ
「お前さん何言ってんだい」  「嘘誤魔化しは長年の親友なんだよ」とね・・・

私が東京から関西に移り住んで、やっと関西に目覚め始めたものだが
故郷の東京に対して「東京の人に対する違和感」を強く感じ始めた
東京人が大阪や京都に移り住む人は少なかったし、今も少ない

東京に住んでいた時は「東京こそ日本」「日本は東京」と信じ切っていたが
関西に住んでみると、「そうでもない、単なる誤解だった」ことが分かっできた
冷静に考えれば、そんな事は当前なのだが、東京時代は気づかなかった
「何という浅はかさだったのだろう」とつくづく反省し後悔したものだ

同様に都会の人は「都会こそ中心」「中心は都会」と信じ切ている
当然なのだ「かつて私が東京こを日本」と信じ切っていたのと同じ誤りだ

ここらへんで、皆さまに分かってもらうと嬉しいのだが、そうはいかない
・「そうか、俺も、今すぐに、山で20年暮してみよう」とはならない
・「嘘誤魔化しをつき続けていることに気づいた」とはならない
僧侶が幾ら説教や座禅指南をやっても都会人の嘘誤魔化しは直らない
山暮らししないと直らない(死ななきゃ直らないではあまりに惨め)

昔、親から次のようなことをしばしば言われたことを思いだす
嘘を言って、簡単に親にばれてしまい
  「嘘をついてはいけませんよ」と、よく言われたものだ
この親の言い分が、今となっては実に大きな疑念と感じている
実に怪しい言いぐさだったのだが、その矛盾を当時は少しも感じてなかった
「嘘をついてはいけませんよ」という親の発言が、何故矛盾かを考えてみると

・親が「嘘をついてはいけない」と子供に言う
・しかし待てよ嘘をつくには、子供にとってそれなりの理由があったのだ
・その理由がなければ子供は嘘をつかなくても済んだはずなのだ
・理由がなく嘘をつけばそれは、確かに嘘つきであるが、理由があるのだ
・その理由を作ったのは、実は親の方なのだ
・怖い顔で「嘘をつくな」ということが一つの決定的な理由である
・親が子供に難しい高尚なことを、怖い顔して言えば、必死に逃げようとする
・子供は親が怖いことを知っているのだ、少なくとも対等ではないのだ
・腕力も知力も親のほうが数倍、数十倍強いのだから
  貴方も学校や会社で経験があるはずだ、上司や社長には嘘をつくものなのだ
  媚びへつらい、怒られないように無難な返事(嘘)をするものなのだ
  そうなのだ、先生や上司や社長が嘘をつかせているのだ
  「嘘誤魔化しをつくな」と言うならば、地位を対等にしないといけないのだ
  親は上司が、かなりの高みから勝手なことを言えば、部下や子供は怖気づく
  100%嘘をつきますが、上司や親は、アホみたいに見抜けない

 ※他人との会話とは、対等の地位でなされなければならない
  を肝に銘じるべしである、上下関係には嘘誤魔化しは付き物なのだ
  命令してもよい、叱りつけてもよい、でも必ず多くの嘘誤魔化しが伴う
    ・ちなみに私は、現在、会話は全て完全な対等意識でやっている
  実は、嘘誤魔化しほど面倒なもの厄介なものは、ないのである
  嘘誤魔化しがないように会社や家庭を運用すると実にすっきりするはずだ
  しかし
  出来て当たり前、簡単そうなこの事が、なんと、まず不可能なのだ

・「嘘をつくな」でなく、「親が子どもに嘘をつかせているのだ」
 にも関わらず先生・上司・親は「お前が嘘誤魔化しをつくな」と責めたてる
・嘘をつく理由は子供や部下にあるのではなく、上司や親にあるものなのだ
 上司・親・先生自身がそもそも、そのまま嘘誤魔化しの発信源なのだ

例えば
 ・男がお世辞や恰好つけるのも相手の美女に良く思われようとするからだし
 (恋愛などというものは正に嘘誤魔化しの極致なのだ、騙しあいに酔うのだ)
 ・女が必死に化粧をし、着飾るのも男の目を気にするからである
 ・都会では、相手に良く思われるための嘘誤魔化しが全てに充満しているのだ

世の中に男女、上下、買い手売り手、親子、社長社員・・・がいる以上嘘はつきない
本来、子供は純真で嘘誤魔化しが少ない、それに反し、親は「嘘がすごく多いのだ
それなのに、大嘘つきの親が純真無垢な子供に「嘘をついてはいけません」とは
そんな破廉恥な!!   「何という嘘誤魔化し」だ「嘘をつくなと嘘を言い」だ

   矛盾に気づけ + 反省 + 都会暮らしよさらば + 大きく変われ
    嘘誤魔化し人間 から 仏性を持つ本来の人間に 戻れ

都会は人が多い、山は人がいない、
だから山では嘘誤魔化す必要がないばかりか、嘘誤魔化しが洗い流される
という簡単な理屈である、禅僧が山奥で座禅する理由も分かるでしょ
   ※過去や固定観念を断つ!⇒山に篭る⇒人を遠ざける

人ごみの都会で、生まれながら嘘をつくように育てられてきたのだ、

それを断たないと、一生嘘誤魔化しで生きながらえる運命を背負う
  これこそが恐ろしい背後霊なのである
周囲に麻薬があれば、絶対に麻薬をやめられないのだそうだ
すなわち、ほとんどの都会人全員に背後霊がついているのだ
  世の中になぜ平和が来ないのか?
    全員が背負う背後霊が取り去れないから

貴方にも”嘘誤魔化し背後霊”がびっしり頭の先から足先までついる

もう一つの理由は都会の便利さ、便利さは今や田舎にも十分あるのだが
欲深い都会人は、都会の便利さを求め、必死にしがみつく
異常なほどの便利さが嘘誤魔化しを更に加速している

高齢になって都会にこだわる理由の一つが大病院が近くにあることらしいが
そんなことは、典型的な嘘誤魔化しの一つに過ぎない、私の考え方は
 ①健康や体力を自分で維持する、大病院や医療保険に依存し過ぎない
 ②都会にしがみつくのは、一番大事な老齢期を無駄に過ごすこと
 ③いざ病気や動けなくなったら、その時に都会に戻ればよいだけのこと

何でもかんでも、長年の嘘誤魔化しから脱出できない惨めさだけ
何しろあまりに長年嘘誤魔化しとともに暮らしてきたので、もはや別れられない
ある意味嘘誤魔化しがないと暮しが成立しないような状況になっているのだ
酒・たばこ・甘いものは、決して健康に良いものではないが、
  ある人にとっては、なくてはならないものなのだ
すごく悪いものなのに、いつの間にか、なくてはならないものになってしまうのだ
都会では嘘誤魔化しは、挨拶代わりみたに、それなくしては円滑に事が進まない

都会暮らし・大企業・便利追及・他人依存・嘘誤魔化しが都会の元凶なのである

やれ愛だの、絆だの、人権だの、平等だの言ったところで、所詮嘘誤魔化しに過ぎない
都会的な人と人の関係は、100%嘘誤魔化しと言ってもよい
    都会の人は、むしろ嘘誤魔化しを楽しんでいるのだ
周囲の人や自分自身を観て御覧、ほとんど全てが嘘誤魔化しでしょ
世の中、特に都会は嘘誤魔化しで充満しているから、かなり面倒くさい
田舎の人が都会に移り住むと当初、大いに戸惑うはずだが、健全の証なのだ
西欧だろうが日本だろうが程度の差はあれ、嘘誤魔化しには変わりない
   嘘誤魔化しは、万国共通   強いか弱いかの若干の程度の差があるだけ
都会人は人を見る場合、嘘誤魔化しの人を見ようとするが、私は本物を観ようとする
この違いは凄まじく大きいので、全く別人を観るが如しなのである
分かりやすく言うと
都会人は人を見る時に、着飾った洋服を着た人、私は何も着ない裸の人を見ている
私は、顔や頭や衣服や宝飾品そのものは見ない、観るのはその人そのものである

嘘誤魔化しがあるからあれこれ歴史がある、歴史の起伏を大きくしている
そんな歴史を子供達は重要なこととして学校で教えられ、暗記するのだ
第二次世界大戦も原爆投下も嘘誤魔化しで行き詰った末路に過ぎない
争い事も全て嘘のつきあい・騙しあいが発端である
二人の人間がいると、二つ国があると、嘘誤魔化しが争い事に発展する
歴史とは本来平和一色なはずだが、そんな歴史は世界中どこにも存在しない
江戸幕府も異常に長かったが、やはり265年で最後が来たのである
貴方個人の歴史も、悲しいことに、その多くは嘘誤魔化しに彩られている

私の新たな癖というか、むしろそれが本来の人の観方・接し方だと思っている
顔や着飾った洋服を観たところで何も分からないし、それこそが嘘誤魔化し
今の私はスポーツ競技や歌舞音曲や芝居や恋愛小説・ゲームは見向きもしない
そんな嘘誤魔化しは、例え高尚な芸術だろうが、実につまらんものだ
オリンピックで日本選手がメダルを採ったと大喜びするのも実にくだらない
ましてや、そんな争い事に国民栄誉賞なんて、実に怪し気で愚かしい
北朝鮮やロシア・中国などの共産国家や後進国のすることでしかない
東京オリンピックも計画当初から私はこのブログでも大反対したが・・・

と言いながら 実は、神様も嘘誤魔化しを組み入れている
それほど嘘誤魔化しは、便利な道具になりうるのだろう
さすがの神様でも、嘘誤魔化しによって種を保存しようとしている
しかし神様はいつまでも嘘誤魔化しを放置はしない、やがてそれを消滅させる
ところが人間の場合は、
いつの間にか嘘誤魔化しが暮しにつよく根をおろしてしまう
ついつい嘘誤魔化しと真実・真理との区別が出来ずに嘘誤魔化しに浸かってしまう
「嘘はいかん」と思い、言いながら、実態は嘘誤魔化しで埋め尽くされていく
麻薬みたいなもので、分からぬうちに、どっぷり麻薬に浸かって依存してしまうのだ
悪いとは知りながら平気で嘘をつき「嘘も方便」などと堂々と言い放つのだ
平和で豊かで便利で快適になっても、苦しみ・悩みの原因は、そのせいである
「何故か分からん」なんてことはないのだ

結婚は年寄りのものではない、若者のするものだが、嘘誤魔化しが潤滑油なのだ
年寄りは歳をとり老い醜態の真実をさらけ出すので、ロマンスなどありえない
そういう意味では嘘誤魔化しも幾分の効用を有するが、その効用は長続きしない
夫の退職する頃、愛想がつきたと離婚する妻が多いが、そういう副作用もある
逆に高齢化社会は嘘誤魔化しの少ない良き社会なのだ

社会は嘘誤魔化しを前提に、嘘誤魔化しを潤滑油のように暮らしている
都会に暮らす以上、そういうことを理解して上手に暮さないといけないが
人によっては、大いに苦しみ・悩み・ノイローゼになり自己崩壊していく
嘘誤魔化しの矛盾に巻き込まれてはいけない、海で溺れるようなものだ
逆らわず、うまく泳ぎ切るか、
それとも私のように人里離れた山で20年暮し、一から出直すことだ

私としては山暮らしを勧めるのだが、山で暮せば誰でも分かるとも保証できない
僧侶などの修行でも、山寺に入って、かえっておかしくなる者も多いと聞く
それでも20年の山暮らしは無駄ではないというのが私の持論である
私の場合、現在は
テレビを観ても、本を読んでも、人と会話していても皆嘘誤魔化しと実感して以来
シラケるのは致し方ないが、少なくとも嘘誤魔化しまみれの時代より人生は明るい
悩む・苦しむ・暗くなることは少ないし、暮らしも誤魔化しがほぼなくなる
他人と喧嘩したり、他人を憎しむ、妬むことも全くなくなった
世の中に充満する嘘誤魔化しがはっきり観えてくるようになった
そのおかげで、嘘誤魔化しに関して無益・無駄に混乱することもない

嘘誤魔化しのない人生、「そんな事出来へんし、どうでもいいこちゃ」
「そんなん、面倒くさ」   ですって?  

さてと、
 ・貴方はどうですか?一日をよくよく振り返って「嘘誤魔化しが全くない」ですか?
 ・それとも、ほぼ全て嘘誤魔化しですか?それで苦しみ悩む暗い日々ですか
 ・それとも、ほぼ全て嘘誤魔化しですか?それで案外楽しい明るい日々ですか?

そしてさて、貴方は今後どうしたらと思いますか?
 ・今のままでよいと思う
 ・何か大きく変わるべきだと思う
 ・よくわからないし、変わるべき意欲もない
その結果貴方の未来は明るいですか?

麻薬を吸ってますか?その麻薬をどうすべきだと思いますか?
という質問に似ていますね

私が山で20年暮して変わったと思うことは、
 ・誰とも会話するようになった
 ・誰でも気軽に私に寄ってきて話しかけてくれる
 ・自分を飾らない・威張らない・誤魔化さない・主張しなくなった
 ・嘘誤魔化しをほとんど付かなくなった(数字で言えば5%以下)
 ・そして心はいつも軽やかで平穏である
 ・心身とも元気で、退屈もしないし、適度にいつも動いている
 ・畑仕事・庭いじり・山菜・大工・へぼ絵画・ブログ・人生論・家事・へぼピアノ
   ・資産運用・田舎暮らし・運動(サイクリング・ストレッチ・歩き・雑草抜き)

ところで3年前72歳で山を降りた、嘘誤魔化しに関して、大丈夫そうだと考え
体力的にも、そろそろ山は無理と思い、麓で暮してもよい歳と考えたからだ
でも、もう人間的に完成したという思いはなく、
むしろ、いよいよ未完成であり、この年でやっと再出発の思いがしたものだ
   遅まきながらでも、人生を再出発できたことは嬉しい

3年前から田中という麓の田舎町に住んでいるが、
町で嘘誤魔化しをつかないことは、なかなか簡単ではない、なぜならば
例え田舎町と言っても、やはり嘘誤魔化しが充満している都会に近い
でも、例え都会に戻っても嘘誤魔化しのない暮しを続けられるようになりたい
麻薬を断って20年、都会で暮らしても一切麻薬に目もくれないようになること
そうしないと真の意味で嘘誤魔化しから離脱出来たとは言い難いからだ
そのためには、都会の嘘誤魔化しに安易に、二度と巻き込まれてはならない
そう考えている私だ
麻薬を20年絶った麻薬患者が社会復帰した心境である

今冬は前半大雪が降ったし、北は豪雪だったが、高島市安曇川は雪が少なく、
意外に、足早に春がやってきた。家の前の空き地ものどかだ
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