日本人は、無神論者が多い。「貴方は何を信仰していますか?」と訊かれて正確に即答できる人は、明らかに何らかの宗教に入信しているごく限られた一部の人です。
日本では、ほとんど宗教教育がされていません、宗教はむしろ触れてはならないことタブーのような雰囲気があります。おかしい話ですね。日本では、周囲を見回しても、心底真面目な仏教信者なんてさほどいません。
一方、多くの外国では宗教教育は基本的なもの、大事なもの、無くてはならないものと認識されています。
まあ、日本人はそのおかげというか、柔軟であることは確かですがね。悪く言えば、厳格なバックボーンがなく、自分の理念は主義・主張がないのです。それに比べて外国人は結構頑固で個人主義的です。
しかし不思議なことに、日本には非常に多くお寺や神社があります。京都に住むと異常な多さには驚くばかりです。日本人は正月やお彼岸に寺社に出かけて行きますし、仏壇や地蔵さんや日の出などやたらに何でも拝む風習があります。
しかしどうも拝むと言っても、その背景となるしっかりした信仰を持っていませんから、空念仏か御利益のためというような偶像を表面的に拝む浅はかなものにならざるをえません。私には、日本人は偶像崇拝の世界代表みたいに見えるのですがね。
信仰は、ややもすると偶像崇拝、形式的なものになりがちです、否むしろ大半の日本人の寺社への参拝は形式的・表面的・情緒的です。
こういう日本人のような傾向を一般に偶像崇拝と言うのでしょう。
偶像崇拝というのは何も信仰の世界だけのことではありません。社会の全ての物事は99%偶像崇拝(又はバーチャル・幻覚・幻想・蜃気楼・・・・)で成り立っているのです。身の回りは偶像崇拝だらけなんです。「偶像崇拝はいかん」なんて言っている人の多くの暮らし方は実は、朝から晩まで偶像崇拝そのものでありあます。
美人・秀才・社長・金持ち・民主主義・進歩・成長・豊かさ・化粧・おしゃれ・地位・その他あらゆる物・あらゆる事・・・・・・・
名画・名演奏・名著・国宝の仏像・名○○・・・なんかも、まあ基本的には、偶像に過ぎません。
こういうものを崇拝して暮らしているのです。ある意味仏像や神様以上にいろいろな偶像・幻想を崇拝しているのです。
すなわち
「偶像崇拝だらけの暮らしや生き方をしている自分」であることをまずきちんと認識しないといけません。
偶像というと何か格好良いもの・格別なことのように聞こえますが、まあ「マガイモノ」「インチキ」「嘘ダラケ」「幻覚」「幻想」・・・・ということでしょうか?そういう暮らしや人生を日々送っていて何も疑問を感じないばかりか、むしろよろこんで偶像崇拝をやっているのが人間なのです。一見真っ当な人のようで、麻薬やお酒や女に溺れる人とさほど大きく変わりません。本質から遠ざかり、日々次から次に新しい偶像を作り出し、狂気しているのが人間なのであります。
熱中人なんてのがテレビでやっていますが、あれは典型的な偶像崇拝、意味のない最高の馬鹿げたことでしかないのです。一見スゲーけど、何ら本質的に賞賛には値しない愚行でしかないのです。そういうことを言われても頭に来ないで「そうだよ俺はヤクザ者だ・幻覚者だ」と素直に受け入れるのであればまだよろしいのですが。
「日々、俺は偶像崇拝をやっている」と
毎朝夕思い出して診よ!深刻に腹立つこともくだらん心配もなくなるはずです。なぜかと言えばしょうもない幻想を有り難がって、神棚に奉って、崇拝し日々ヤクザな暮らししているんだということです。「ほとんどの人間は、首相から乞食まで、愚かな偶像崇拝者だ」ということ、この世の物事はほとんどが偶像に過ぎないのです。
否、むしろ悪人や愚か者・ヤクザな人間のほうがあまり偶像を崇拝していないのかもしれません。金持ち・地位の高い人・有能な人ほど幻覚・偶像に酔いしれるものであります。こういう上流の人間どもが、つまらんことを、真剣にあーだのこーだの言っているんですな。
また日本の特徴は「いい加減」「偶像崇拝」「柔軟」「何でもありー」「そんなの関係ねー」・・・なことかもしれません。無心論者の国日本・偶像崇拝の日本・バンザーイ」
ハーイおしまいでーす。
座右の銘座右の銘:http://www.meico.org/zayuunomei.html
日本では、ほとんど宗教教育がされていません、宗教はむしろ触れてはならないことタブーのような雰囲気があります。おかしい話ですね。日本では、周囲を見回しても、心底真面目な仏教信者なんてさほどいません。
一方、多くの外国では宗教教育は基本的なもの、大事なもの、無くてはならないものと認識されています。
まあ、日本人はそのおかげというか、柔軟であることは確かですがね。悪く言えば、厳格なバックボーンがなく、自分の理念は主義・主張がないのです。それに比べて外国人は結構頑固で個人主義的です。
しかし不思議なことに、日本には非常に多くお寺や神社があります。京都に住むと異常な多さには驚くばかりです。日本人は正月やお彼岸に寺社に出かけて行きますし、仏壇や地蔵さんや日の出などやたらに何でも拝む風習があります。
しかしどうも拝むと言っても、その背景となるしっかりした信仰を持っていませんから、空念仏か御利益のためというような偶像を表面的に拝む浅はかなものにならざるをえません。私には、日本人は偶像崇拝の世界代表みたいに見えるのですがね。
信仰は、ややもすると偶像崇拝、形式的なものになりがちです、否むしろ大半の日本人の寺社への参拝は形式的・表面的・情緒的です。
こういう日本人のような傾向を一般に偶像崇拝と言うのでしょう。
偶像崇拝というのは何も信仰の世界だけのことではありません。社会の全ての物事は99%偶像崇拝(又はバーチャル・幻覚・幻想・蜃気楼・・・・)で成り立っているのです。身の回りは偶像崇拝だらけなんです。「偶像崇拝はいかん」なんて言っている人の多くの暮らし方は実は、朝から晩まで偶像崇拝そのものでありあます。
美人・秀才・社長・金持ち・民主主義・進歩・成長・豊かさ・化粧・おしゃれ・地位・その他あらゆる物・あらゆる事・・・・・・・
名画・名演奏・名著・国宝の仏像・名○○・・・なんかも、まあ基本的には、偶像に過ぎません。
こういうものを崇拝して暮らしているのです。ある意味仏像や神様以上にいろいろな偶像・幻想を崇拝しているのです。
すなわち
「偶像崇拝だらけの暮らしや生き方をしている自分」であることをまずきちんと認識しないといけません。
偶像というと何か格好良いもの・格別なことのように聞こえますが、まあ「マガイモノ」「インチキ」「嘘ダラケ」「幻覚」「幻想」・・・・ということでしょうか?そういう暮らしや人生を日々送っていて何も疑問を感じないばかりか、むしろよろこんで偶像崇拝をやっているのが人間なのです。一見真っ当な人のようで、麻薬やお酒や女に溺れる人とさほど大きく変わりません。本質から遠ざかり、日々次から次に新しい偶像を作り出し、狂気しているのが人間なのであります。
熱中人なんてのがテレビでやっていますが、あれは典型的な偶像崇拝、意味のない最高の馬鹿げたことでしかないのです。一見スゲーけど、何ら本質的に賞賛には値しない愚行でしかないのです。そういうことを言われても頭に来ないで「そうだよ俺はヤクザ者だ・幻覚者だ」と素直に受け入れるのであればまだよろしいのですが。
「日々、俺は偶像崇拝をやっている」と
毎朝夕思い出して診よ!深刻に腹立つこともくだらん心配もなくなるはずです。なぜかと言えばしょうもない幻想を有り難がって、神棚に奉って、崇拝し日々ヤクザな暮らししているんだということです。「ほとんどの人間は、首相から乞食まで、愚かな偶像崇拝者だ」ということ、この世の物事はほとんどが偶像に過ぎないのです。
否、むしろ悪人や愚か者・ヤクザな人間のほうがあまり偶像を崇拝していないのかもしれません。金持ち・地位の高い人・有能な人ほど幻覚・偶像に酔いしれるものであります。こういう上流の人間どもが、つまらんことを、真剣にあーだのこーだの言っているんですな。
また日本の特徴は「いい加減」「偶像崇拝」「柔軟」「何でもありー」「そんなの関係ねー」・・・なことかもしれません。無心論者の国日本・偶像崇拝の日本・バンザーイ」
ハーイおしまいでーす。
座右の銘座右の銘:http://www.meico.org/zayuunomei.html
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