指導や講演を依頼出来ます 村上原基
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円
安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。 9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル
テーマ
医者とか先生とかコンサルタントとか実にいい加減な人達
概要
1.世間の状況 お粗末な、かなりひどい先生や医者やコンサルタントが普通に存在する
私も幸か不幸か経営コンサルタントとして先生と呼ばれ15年を過ごしたが、強い不信感を抱いた
指導的な立場の人は、いつしか癖になって、偉くもないのに自分は相手より格段に上だと錯覚する
そして相手の言うことをじっくり訊かない習慣がついてしまう。高飛車に相手に教えようとする癖
2.問題点 本当に信用できる先生や医者やコンサルタントはほんの僅かだ
使っていた経営コンサルタントの多くは、相手の話を聴かず、自分の意見を一方的に押し付ける
しかも話す内容が的外れだったり、難しかったり、相手の立場や悩みを無視した話し方が目立っ
学校の先生についても付き合ってみると、同様に話すことが狭く、断定的で、融通性が欠ける
悩みや質問をしても碌に聴いてくれず、質問とは飛び離れた、模範解答や勝手な回答を押し付ける
医者、先生、コンサルタントなどは相手の話にいちいち耳を方傾けるのが鬱陶しがり、嫌がる
3.私はどうしたのか、何をしたのか さすがの私もインチキ先生を雇わざるをえなかった
コンサルタントや先生の生い立ち、年齢、性格や体力などによって偏りや癖の強い話になりがちだ
私がかつてコンサルタント会社を自営し先生を募集したが、期待した先生は集まらなかった
やむを得ず雇うしかなかったが、私が指導に立ち会うときは、ひやひやして聴いていたものだ
経営コンサルタントに限らず先生の99%以上は碌な先生ではない、でも使わざるを得ない
テレビやマスコミに登場するような全国的な有識者を、無批判に信じてしまう危険がある
医者も先生も当初は新米だが、そのうち経験豊富な先生のような恰好で収まりかえってしまう
何となく顔や言動や立ち居振る舞いは先生らしくなってしまうので、世間はそこそこ信じてしまう
私の経営コンサルタントの経験では、外見は立派になって行くが、
駄目な先生は、いつまでも駄目のまま、抜け出せない、むしろ、どんどんひどくなっていく
例えば医者の場合、私達高齢者の身体の不調を若い医者に訴えても碌に取り合ってくれない
医者にしてみれば「俺は医者だ、権威者だ」患者の言うことに一々対応なんかしてられないのだ
医者、先生、コンサルタントなどはもっと謙虚であっても良いと思うが、現実は天狗先生ばかり
4.私はどうなったのか インチキな先生に拘わらないことだが、現代は現実的に難しい
コンサルタント、医者、学校の先生は信用しない、個性や癖が強くて、聴くに堪えないことが多い
肩書だけで先生を信用してはならない、秀才であっても、経験も知識も、さほどないものなのだ
医者は、いかにも薬や注射の効能や副作用について熟知しているようだが、全くそんなことはない
医者も先生もコンサルタントも狭い経験や知識で仕事をしてしまう。毎日患者を診るだけで精一杯
手術しない、患者は限られる、薬は製薬会社まかせ、本は読まない、患者の事は全く知ろうとしない
患者の年齢や生い立ちや血縁や体力や健康状態によって効果や副作用は異なるが、お構いなし
経営コンサルタントでも、大企業出身で零細企業の経験も知識もないので難しいことを押し付ける
経営コンサルタントでも、医者でも患者の状況を臨機応変に確認して診断し処方なんかしやしない
医者や経営者や政治家がもっとも怪しげな、信用できない人達なのだが、運命を預けてしまう
5.一体なにが原因で出来ないのか 世の中進歩するから追いつけない、詐欺先生に頼る
人を判断する基準が主に肩書によっていることによる、肩書ですっかり信用してしまう
医者も先生もコンサルタントも専門職、患者は評価能力はなく、エイヤーで信用せざるを得ない
医者なども近所の医者だからとか大病院だから通っているだけで、医者の能力鑑定はしない
経営コンサルタントの能力鑑定しますと宣伝を出したが、一度も問い合わせも注文も来なかった
知らぬが仏、まあほとんどがひどい詐欺まがいの先生に我が身を預けているのだ
普通の患者には、先生が本当に立派なきちんとした先生であるかを判断することは出来ない
もっとも、もしそんなことが出来たら、駄目医者には誰もいかなくなり
深刻な医者、先生、コンサルタント不足になってしまう・・・知らぬが仏かもしれない
経営コンサルタントの仕事を自営していた時も、人材難で随分困ったが、まあどうにかやって来た
医療についてもインターネットや本で真反対な意見に出会うが、それについて見解は示されない
例えば血圧降下剤は飲むな、コレステロールは少し高くても良い、検査基準は改定され厳しすぎる
「先生この薬は大丈夫なんですか?最近、身体の具合が悪くなっているのですが?」「大丈夫ですよ、製薬会社がそう言ってますから」「私が医者としていちいち確認なんかできませんよ」「もし飲まないと、どんどん悪化し命を落とすこともありますよ」「そうですか?でも薬を飲むなという本を読んだんですが」「そんな本は無責任でそんなもの信じてはいけませんよ」
そんな会話で丸め込まれてしまう、医者は投薬した患者の副作用について地道に調べようとはしない
そんなことを調査、分析する余裕も気力も力量もないのだ、本の見解をコピペしかない
「無責任な本は読むな」と言う先生自身が本の知識だけで診断し、質問に答える
私に言わせればそんな先生こそ無責任なのだが、そんなことに気づく先生はほとんどいない
患者の細々した事迄踏み込もうとはしない、先生もコンサルタントも同様、受け売りしかしない
6.提言 単純で凡庸で身の丈に合った生き方、自然や田舎の暮らしを楽しむ
身体、頭、経営について、自分でコンサルタント出来る程度の能力を持つ以外に打開策はない
しかし、そんなことは部分的にしか出来ない、だから藪医者でも藪先生でも頼るしかないのだ
世の中ではそんなことが多い、自分のことは全部自分で考え対処出来れば問題ないが、
しかし現実には世の中がどんどん進む中では、到底無理な話である
妙な話で世の中が進めば進むほど人々は自分で自立、自律出来なくなっていくのだ
おかしな時代だ一体、世の中の進歩とか発展とは何なんだ?
進歩を追いかけ、追いつくために必死だが、自分では賄えず、医者や先生に誤魔化される
・凄く難しいことだが、しっかり自分で考え、物事の良し悪しを的確に判断すること
・それと、 欲張らないで身の丈に合った、分度を守って生きる、暮らすこと
・さらに、 都会に暮すのは、せいぜい50~55歳まで、それ以降は田舎や山でゆったり、
静かに、自然に浸って自分を見つめ直し、暮すこと
そうしないと自分を取り戻すことは永遠に出来ず、悩み苦しむだけで、死んでいく
昔は自立し自律していたが、進歩によって、ちぐはぐで身の丈に合わない生き方を強いられる
もっと単純な生き方で自ら自立/自律した生き方をするほうが幸せではないのだろうか
あれこれ求め過ぎて、手が回らず、インチキ先生に依存しながら身分不相応な生き方をしている
7.追伸
世の中進歩することで、ジェットコースターに無理やり乗せられてような状況になっている
そうです、ジェットコースターなんかに乗る必要はないのです
長生きするようになったのは嬉しいことだが、老後に薬漬けで寝たきりになるのは適わん
二宮尊徳が「分度に合った暮し方生き方をせよ」と言っている、現代は背伸びして生きているのだ
全ての人が分度を越えて無理な、不自然な生き方をしてしまっているのだ、ひとまず自然に戻れ
私は最近旅行もグルメも贅沢も豪華な買い物も都会歩きも一切しない、そんな事は余計なこと
引越しも転職もせず、さしたる苦難もせず、都会であくせくし、つまらん人生を送る人は多い
今年は大雪で、春が遅く、待ちわびたが、やっと春がやって来ました ところで
2年前に買った我が家、かなり安かったが、都会では、こんな広い家や空き地のある家に住めない
大雪対策で庭を大幅リフォームしたのですっきりしました
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
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テーマ
医者とか先生とかコンサルタントとか実にいい加減な人達
概要
1.世間の状況 お粗末な、かなりひどい先生や医者やコンサルタントが普通に存在する
私も幸か不幸か経営コンサルタントとして先生と呼ばれ15年を過ごしたが、強い不信感を抱いた
指導的な立場の人は、いつしか癖になって、偉くもないのに自分は相手より格段に上だと錯覚する
そして相手の言うことをじっくり訊かない習慣がついてしまう。高飛車に相手に教えようとする癖
2.問題点 本当に信用できる先生や医者やコンサルタントはほんの僅かだ
使っていた経営コンサルタントの多くは、相手の話を聴かず、自分の意見を一方的に押し付ける
しかも話す内容が的外れだったり、難しかったり、相手の立場や悩みを無視した話し方が目立っ
学校の先生についても付き合ってみると、同様に話すことが狭く、断定的で、融通性が欠ける
悩みや質問をしても碌に聴いてくれず、質問とは飛び離れた、模範解答や勝手な回答を押し付ける
医者、先生、コンサルタントなどは相手の話にいちいち耳を方傾けるのが鬱陶しがり、嫌がる
3.私はどうしたのか、何をしたのか さすがの私もインチキ先生を雇わざるをえなかった
コンサルタントや先生の生い立ち、年齢、性格や体力などによって偏りや癖の強い話になりがちだ
私がかつてコンサルタント会社を自営し先生を募集したが、期待した先生は集まらなかった
やむを得ず雇うしかなかったが、私が指導に立ち会うときは、ひやひやして聴いていたものだ
経営コンサルタントに限らず先生の99%以上は碌な先生ではない、でも使わざるを得ない
テレビやマスコミに登場するような全国的な有識者を、無批判に信じてしまう危険がある
医者も先生も当初は新米だが、そのうち経験豊富な先生のような恰好で収まりかえってしまう
何となく顔や言動や立ち居振る舞いは先生らしくなってしまうので、世間はそこそこ信じてしまう
私の経営コンサルタントの経験では、外見は立派になって行くが、
駄目な先生は、いつまでも駄目のまま、抜け出せない、むしろ、どんどんひどくなっていく
例えば医者の場合、私達高齢者の身体の不調を若い医者に訴えても碌に取り合ってくれない
医者にしてみれば「俺は医者だ、権威者だ」患者の言うことに一々対応なんかしてられないのだ
医者、先生、コンサルタントなどはもっと謙虚であっても良いと思うが、現実は天狗先生ばかり
4.私はどうなったのか インチキな先生に拘わらないことだが、現代は現実的に難しい
コンサルタント、医者、学校の先生は信用しない、個性や癖が強くて、聴くに堪えないことが多い
肩書だけで先生を信用してはならない、秀才であっても、経験も知識も、さほどないものなのだ
医者は、いかにも薬や注射の効能や副作用について熟知しているようだが、全くそんなことはない
医者も先生もコンサルタントも狭い経験や知識で仕事をしてしまう。毎日患者を診るだけで精一杯
手術しない、患者は限られる、薬は製薬会社まかせ、本は読まない、患者の事は全く知ろうとしない
患者の年齢や生い立ちや血縁や体力や健康状態によって効果や副作用は異なるが、お構いなし
経営コンサルタントでも、大企業出身で零細企業の経験も知識もないので難しいことを押し付ける
経営コンサルタントでも、医者でも患者の状況を臨機応変に確認して診断し処方なんかしやしない
医者や経営者や政治家がもっとも怪しげな、信用できない人達なのだが、運命を預けてしまう
5.一体なにが原因で出来ないのか 世の中進歩するから追いつけない、詐欺先生に頼る
人を判断する基準が主に肩書によっていることによる、肩書ですっかり信用してしまう
医者も先生もコンサルタントも専門職、患者は評価能力はなく、エイヤーで信用せざるを得ない
医者なども近所の医者だからとか大病院だから通っているだけで、医者の能力鑑定はしない
経営コンサルタントの能力鑑定しますと宣伝を出したが、一度も問い合わせも注文も来なかった
知らぬが仏、まあほとんどがひどい詐欺まがいの先生に我が身を預けているのだ
普通の患者には、先生が本当に立派なきちんとした先生であるかを判断することは出来ない
もっとも、もしそんなことが出来たら、駄目医者には誰もいかなくなり
深刻な医者、先生、コンサルタント不足になってしまう・・・知らぬが仏かもしれない
経営コンサルタントの仕事を自営していた時も、人材難で随分困ったが、まあどうにかやって来た
医療についてもインターネットや本で真反対な意見に出会うが、それについて見解は示されない
例えば血圧降下剤は飲むな、コレステロールは少し高くても良い、検査基準は改定され厳しすぎる
「先生この薬は大丈夫なんですか?最近、身体の具合が悪くなっているのですが?」「大丈夫ですよ、製薬会社がそう言ってますから」「私が医者としていちいち確認なんかできませんよ」「もし飲まないと、どんどん悪化し命を落とすこともありますよ」「そうですか?でも薬を飲むなという本を読んだんですが」「そんな本は無責任でそんなもの信じてはいけませんよ」
そんな会話で丸め込まれてしまう、医者は投薬した患者の副作用について地道に調べようとはしない
そんなことを調査、分析する余裕も気力も力量もないのだ、本の見解をコピペしかない
「無責任な本は読むな」と言う先生自身が本の知識だけで診断し、質問に答える
私に言わせればそんな先生こそ無責任なのだが、そんなことに気づく先生はほとんどいない
患者の細々した事迄踏み込もうとはしない、先生もコンサルタントも同様、受け売りしかしない
6.提言 単純で凡庸で身の丈に合った生き方、自然や田舎の暮らしを楽しむ
身体、頭、経営について、自分でコンサルタント出来る程度の能力を持つ以外に打開策はない
しかし、そんなことは部分的にしか出来ない、だから藪医者でも藪先生でも頼るしかないのだ
世の中ではそんなことが多い、自分のことは全部自分で考え対処出来れば問題ないが、
しかし現実には世の中がどんどん進む中では、到底無理な話である
妙な話で世の中が進めば進むほど人々は自分で自立、自律出来なくなっていくのだ
おかしな時代だ一体、世の中の進歩とか発展とは何なんだ?
進歩を追いかけ、追いつくために必死だが、自分では賄えず、医者や先生に誤魔化される
・凄く難しいことだが、しっかり自分で考え、物事の良し悪しを的確に判断すること
・それと、 欲張らないで身の丈に合った、分度を守って生きる、暮らすこと
・さらに、 都会に暮すのは、せいぜい50~55歳まで、それ以降は田舎や山でゆったり、
静かに、自然に浸って自分を見つめ直し、暮すこと
そうしないと自分を取り戻すことは永遠に出来ず、悩み苦しむだけで、死んでいく
昔は自立し自律していたが、進歩によって、ちぐはぐで身の丈に合わない生き方を強いられる
もっと単純な生き方で自ら自立/自律した生き方をするほうが幸せではないのだろうか
あれこれ求め過ぎて、手が回らず、インチキ先生に依存しながら身分不相応な生き方をしている
7.追伸
世の中進歩することで、ジェットコースターに無理やり乗せられてような状況になっている
そうです、ジェットコースターなんかに乗る必要はないのです
長生きするようになったのは嬉しいことだが、老後に薬漬けで寝たきりになるのは適わん
二宮尊徳が「分度に合った暮し方生き方をせよ」と言っている、現代は背伸びして生きているのだ
全ての人が分度を越えて無理な、不自然な生き方をしてしまっているのだ、ひとまず自然に戻れ
私は最近旅行もグルメも贅沢も豪華な買い物も都会歩きも一切しない、そんな事は余計なこと
引越しも転職もせず、さしたる苦難もせず、都会であくせくし、つまらん人生を送る人は多い
今年は大雪で、春が遅く、待ちわびたが、やっと春がやって来ました ところで
2年前に買った我が家、かなり安かったが、都会では、こんな広い家や空き地のある家に住めない
大雪対策で庭を大幅リフォームしたのですっきりしました
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