村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

74.高齢化・お歳寄り予備軍の方方に贈る

2007-02-02 11:33:53 | 老後
私は昭和18年戦争真っ最中に生まれたが、戦後昭和20~24年くらいまで、物資欠乏の時代にも拘わらず、当時は無論テレビも娯楽も、何もすることがなかったらしく、なぜか子作りが盛んであったらしい、それを団塊の世代というらしいが、何とも悲しいネーミングである、「塊」の扱いである。しかしこの塊がウンコのように押し出されてくるのである。
このウンコの老後は、一応6つくらいに分類できるらしい。ウンコとは失礼だというお叱りを受けそうだが、薔薇色のようなイメージをとりあえず捨てて、まずはウンコくらいに思っておいたほうが本人のためなのである。「俺はウンコなんかじゃない」そう言い切って欲しいのである。
これらのウンコは、もうかつてのように社長でも部長でも先生でも宝でもなくなり、一度は無用なものとしてゴミ箱に捨てられるという現実をまず認識すべきなのである。
その上でリサイクルではないが、どう自分を有用なものに再生していくかが大切なポイントである。

①働きウンコ組(従来どおり働き続ける)
②頑張ウンコ組(新しいことにチャレンジ)
③喜びウンコ組(やっと自分のやりたいことできる)
④隠居ウンコ組(まあ歳相応に静かに)
⑤ごみウンコ組(何もやることもなく家でも邪魔扱い)
⑥悲しウンコ組(離婚や病気や破産や悲惨になる)

それでなくとも今後巷を歩くと、年々、自分のような老人が溢れかえるのである。そして自分も間違いなくその一員になっていくのだ。それは現在と較べものにはならないような状況、過疎の村のような老人だけの状況になる。種田山頭火の「わけいってもわけいっても青い山」という句があったが、「歩めども歩めども老人の山」という現実になる。山頭火の数倍悲しくも暗い現実がそこに出現する。
長年ビジネスの世界にドップリ浸かって、忙しさと・人間つき合い・家族・健康・自分自身のこと・財産・・・あれこれつらい修羅場をくぐり抜けて、やっとその苦労や苦痛から脱出し開放される時が来た。
ホッとする一方で、会社を去ること、肩書きも友人もなくなるのは、かつて味わったこのとない厳しくも悲しい現実だ。
60歳で還暦を迎える人には、100%老後は否応なしにやって来る。老後は天国かと思いきや案外大変だ。生老病死というが、多くの人に確実に過酷な老病死苦がひたひたと押し寄せて来る。
時間もある、金もある、能力も経験もある、友人もいる、家族もある、しかし何となく、かなり多くのものを失った、又はどんどん失っていくような感覚が一挙に襲ってくる。そういう中でなんとなく日々を過ごしていると、元気がなくなり、老化は予想外に早く進んでいく。
今迄あんなに切望していたはずなのに、過酷な仕事から開放され、毎日が日曜日になると、暇がかなり苦痛であることを実感する。なんということはない、忙しくても苦痛/暇になっても苦痛なのである。人間には苦痛しかないのか?まるで昔の百姓のように一生苦と戦うことになる。働けど働けど我が暮らし楽にならざりき。
こんな悲しいことは止めたいが、昔の水呑み百姓のように、死ぬまで楽しくなく悶々として又は苦難に満ちて暮らす老人は多いのである。
本当は、若い時まあ50歳くらいでいいのだが、自分の老後の理念・方針・目的・目標・しくみ作り・老後のライフスタイル作りなんてのを真剣にすべきであったのだ。しかし多くの人が、老後のことなんて全然考えてもいないから、いざ退職してからハタッと困る。退職して一日家にいる何をやればいいのか?一日テレビ見て・パソコンやって・奥さんの料理を食べる日々、まあ正真正銘の穀つぶし・役立たずになってしまう。場合によっては、最悪の場合、最愛であったはずの奥様からある日突然、離縁状を突きつけられる始末だ。
老後においては、退職を機会に180度生き方を見直し・大きく変える必要がある。置かれる環境や状況や価値観が180度変わっているのだから、自分自身のライフスタイルを新たに手作りで構築しないとうまくいくわけがない。ごみとまでは言いたくないが、へますると粗大ゴミ・ごみ屋敷の主人になってしまう。
暇はかなわんと仕事を見つける人がいる。しかしそういう人は一生働かされる奴隷まがいのスタイルになってしまう。それでいいというのならばまあしかたがないのだが。
そこであれやこれや始めるが、そんな思いつきのことは長続きしないし心の満足は得られない三日坊主というやつである。
私は「毎日暇で暇で」と嘆く多くの初老の老人を知っている。ところが彼は案外行動的なのである。あっちこっちと日がな動き廻るのである。よそ目にはスゲー楽しそうに見えるのだが、どうも本人は焦っているらしい、他人が思うほど本人はどうも楽しくはないらしく朝から晩まで鬱々としている。まあ贅沢極まりない悩みなのである。孫は可愛いというが一日付き合うと芯から疲れてしまい、早く帰って欲しいと思う。
でもまあそういうことで悩むうちは、まだましなのであって、いよいよ老病苦が身にまとわり着くようになると、いよいよあとは病や死や苦との戦いの日々しか残ってはいない自分に気づくのである。

私の54歳退職後自営した体験からすると、

①なるべく若いうちにライフスタイルを確立する
②方針や目標を立てる
③過去と決別する部分と引き継ぐ部分を50-50に
④生活に3~4本の柱を建てる
⑤人との付き合いを大切にする
⑥こつこつ何かやる
⑦新しいことを1つ2つやる

というようなのだろう?なにしろそんなに簡単に結論は出ない10年くらいかかる、ということは60歳の人は70歳になってやっと自分なりにライフスタイルが確立できるということになる。
不幸か幸か、私のように54歳で退職した者は64歳で構築できたのであるが、正直60歳で退職の人は、70歳になってやっと路線が引けるという悲しい現実があるのである。
しかし焦ってはならない、着実に努力と日々の積み上げをしていくことをお勧めする。いろいろな老後に関する本が出ているが、財産管理・健康管理・危機管理など基本的なことは本のとおりやるべきとして、基本的な部分以外のことについては、あまり影響を受けすぎないほうがいい、「1000人の初老の老人がいれば1000とおりの老後の生き方がある」というスタンスのほうが良いと思うのである。

青春とは心の若さであるhttp://www.meico.org/kokoronowakasa.html

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