村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

118.森林国日本の山は、遠目で緑一色であるから健全のように誤解している人が多いのが心配です

2007-11-04 09:45:10 | 森の暮らし
今、山中の木々は、都会の子供達のように人の関心を受けずにひねくれ・引きこもり・愚れ・切れ・瀕死の状況になっている。もう一本づつの木をどうしようというレベルではなく、森全体をどうするか真剣に考える最悪な時期なんです。都会でニートや引き篭もりや切れる子供が問題になっていますが、山の木々も同様な状況なんですね。
今、日本の森は人間同様、危機を通り越して、末期的な状況になっているのです。
子供は見捨てるわけにはいかないが、森の木々は今完全に見捨てられている。山は持ち主にも木材業者にも政治家にも完全に見放されているのです。
しかしそんなことで良いのでしょうか?人間にその害が降りかかって来ないのでしょうか?
身勝手な人間がびっしりと木を植えたが、今もって木を切って間伐しないために、太陽の陽も当たらない、現代の都会の子供と似ているのです。
木は、必死に太陽を求めて空へ右へ左へとのた打ち回っている。ヒョロヒョロとか弱く、温暖化により、虫にも喰われ病気をわずらう木々で森は満ち満ちているのです。
山の状況は悲惨なものですが、山に住む人が少ないので声が政治に届かない、届いても聞かぬふりをしている。選挙で票がとれないからです。田舎の人々も、昔のように、もう山に頼ってはいないし、森の管理ができない。田舎の人が時々山に上がってきて「山の暮らしはどうですか?」なんて訊かれる。「山で暮らすなんていいですね」「羨ましい」なんて5分くらい離れた麓に住む村人が言う。
山の木々が泣いている。大きな声をはりあげたいが、木はそれができない。もしできたとしたら日本中が木の泣き声ですごくうるさいことでしょう。私のように、山に長年住む人は少ない、その私には木の泣き叫ぶ声が聞こえます。現実に木は高齢化し虫が繁殖し日も風も当たらず、切って欲しい年月なのに切ってもくれない。どんどん木は瀕死の状態になり、立ち枯れ、突如一斉に倒れていく。日本の山もあと10年持つかどうかだが、良いのかなー?都会の枝葉末節なことを国会で議論していて良いのだろうか?日本は海の国であると同時に山林の国ということを忘れている。
「森を見て木を見ず」「社会を見て子供を見ず」「会社を見て。社員を見ず」「国や世界を見て国民を見ず」・・・・・皆、瀕死の重傷に耐えているが時間の問題ですよ、危機ですよ。
地元の町役場の人が言われた「村上さん森の木は何百年の年月を経て木の種類が移り変わっていきますから何もしなくても、自然の力によって再生し、大丈夫なんです」確かにそうかもしれない。しかし少なくともここ20年30年日本の山が一時的に丸裸になり温暖化により気候変動で、洪水などによる崖崩れや鉄砲水などの被害が続出したり、海の水質や漁業資源にも大きな影響を及ぼすことが非常に危惧されます。「甘さ・遅さは命取り」
「人間のやった悪さは、あとは野となれ山となれ」「自然がなんとかしてくれる」などと捨て鉢な考えで良いのでしょうか?
今こそ、選挙の票のことしか頭にない不誠実で愚かな政治家や役人でなく「現代の二宮尊徳」が現れないと、日本も世界も地球も人類も崩壊してしまうと思うのですが?
村上和隆の安曇川暮らし日記

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