村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

117.山で一人暮らしを10年やってほんの少しだけ見えてきたこと

2007-11-01 14:52:17 | 森の暮らし
なぜ僧侶はわざわざ、山の中で修行するのでしょうか?
都会でも出来るように思いませんか?
都会では、自分を見つめることに集中できないからではないのでしょうか?
とんでもなく煩いところで寝ろというのと同じような状況でしょうか。
まず都会のような沢山の無用な影響を受ける環境から離れることが第一ですが、普通の人には、それがまずできない。
それができないから、「自分を見つめるということ」なんか到底できない。
そして「自分を知ること」「本来の人間を知ること」もできないまま都会の雑踏の中で、物欲・性欲・食欲・名誉欲・権力欲にまみれて、外見は一見豪華だが、汚れ・苦しみ・すさみ・貧相な人生を送るはめになる。
人間という奴はどうしても真剣な修行をしないと真っ当な人生を送ることはできないのです。
都会では「見るな」と言われても、どうしても多くの他人を見てしまう、というか見ざるをえない。「酒飲むな」と言ってもついつい酒の溺れる。「質素に暮らせ」と言ってもついつい贅沢をしてしまう。なんでもそうなのだ、なければよいのにあるからついつい溺れてしまう依存してしまうのです。人もそうであって、人と付き合うことがいかにも素晴らしいことだと信じているが、都会で多くの人がいるとその中で自分の位置づけ他人との比較で自分が良く見えてくるように錯覚するが結果的に自分が見えなくなってくる、自分を失ってしまうのである。
そうすれば何やかやと無用な影響を受ける、良い影響だけ受けるなんてそんな都合の良いことはありえない、何かと心が動揺する。
都会の人というのは何も望ましい影響だけを与えてくれるとは限らない、否むしろ悪性の放射線のように悪い影響を受身的に被爆してしまっていることも大いに考えられるのです。悪いかどうかは一応別にして一度そういう受身的な影響から離れることも大事なことです。
汚れた垢を落とすということでしょうか?しかしこの垢なかなか落ちません。
他人と自分を比較する、永久に自分を見出す機会を逃し続けるのです。
「そんなことあるか、人生は面白おかしく暮らせばいい」「都会で多くの人と交わらない暮らしなんてみじめ」という人が多いのですが、そういう人は、まあどうぞ、都会で存分に幸せ(?)をつかんで下さい。
もし貴方が心の底から幸せならば、こんな修行じみたことをする必要もないのではないでしょうか?いいのではありませんか?
私は他人様に敢えて、困難なことを押し付けようなどとは少しも思いません。
しかし・・・・・・自分を静かな環境に長いこと置いてみて、見直すことも大事だと思い始めた今日この頃です。
多分皆様にはおわかりにならないことだろうと思います。
私も10年やってみて、何となくわかってきたことです。

           山一人暮らし   (都会の暮らし )
1  勝ち負け    意識薄れる   (負けたくない)
2  競争      ない        (醜い争い)
3  比較      必要なし     (しょっちゅう)
4  喧嘩      できない     (多い)
5  背伸び     必要なし     (背伸びする)
6  買い物     あまりしない   (毎日する)
7  悩む      少ない       (多い)
8  他人の影響   少ない      (大いに受ける)
9  他人の目    気にしない    (大いに気にする)
10 気兼ね     しない       (大いにする)
11 社会からの影響 受けない    (大いに受ける)
12 依存      できない      (する)

村上和隆田舎暮らし


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