マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設 東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町
*****************************
テーマ:74歳から水彩画をやって思うこと
たかが水彩画されど水彩画
貴方は水彩画をやれと言われたら1年間でもやってみますか?
私は74歳で近所の絵の先生に誘われて1年水彩画を学んだ
正直なところ、つらかったが、エイヤーで飛び込んだ
その結果、私はどうなったのか?
●ところで、
11月11日に朝から久しぶりに写生会に参加してきました
紅葉が少し始まった滋賀県高島市今津町の酒波寺
総勢23名講師2名で約4時間無心で絵を描きました
何しろ時間が少ないので色つけまでやるのは大変ですが
その後修整し、まあまあの作品になりました
***最終完成***(その後2年後に再度修正したもの)
2年後数ヵ所か気に入らない箇所修正⇒どこがどう変わったか?
***当時の修正版***(下の第一最初般の絵を一週間修整したもの)
一週間でこんなにも変わります
***第一最初版***(写生会当日4時間程度で描いたもの)
教室に参加して当初の3か月は恥ずかしいことおびただしい
74歳の男がデッサンは無論、まともに色塗りも出来なかった
でも、我慢を重ね、先輩の絵を観る、先生の指導を受けて、
どうやら1年でかなり描けるようになった
あげく近所の人には「村上さんは絵の素質がある」などと言われる
までに至ったが、私は絵の才能も素質も全くないと断言する
その才能なしの私だが、水彩画を描く度に腕を上げているのは確か
▼水彩画の話の前に少し横道に入るのをお許し下さい
私が55歳で滋賀県安曇川の山中にログハウスを買い、そこで20年
暮らした結果、かつてない、いろいろな事を勉強したり習得した
そして72歳で山を下り田舎町に引っ越してからも新たな事に
チャレンジする姿勢は変わらない
山暮らし・大工・山菜とり・剪定・大木伐採などを通じて自分にも
そんなことが出来ると思うと同時に、都会の多くの人がほとんど
そういうことを全く出来ないことも改めて知った
「都会の人は出来ない」今や「田舎の人さえ出来なく」なっている
京都でも「京都人の京都知らず」を実感したことが何度もあった
東京育ちの私のほうが京都のあちこちのことを数倍知っていた
しかしその私でも、今や、すっかり京都に関心を失った
すなわち人は同じ状況や環境に暮らし続けると堕落する
京都人は京都の事は知っているが京都の外の事は知らない
そして今や京都人は京都の事さえもあまり知らない
何故かと言うと京都人が京都の事を必要に知ろうとしないからだろう
京都人は京都に住んではいるが何となく住んでいるだけなのだ
田舎の人も何となく田舎に住んでいるだけなのだ
真剣に好きで必死に田舎に住んでいるわけではない
貴方の身の回りにも、そんなことが沢山あるはず
自分の家庭なんか、その典型かもしれない
外人が日本に来ると日本のあらゆることが新鮮で興味深く見えてくる
ところが日本人には当たり前すぎて全く気づかない
地方再生は地元の人がやっては成功しない、よそから入った者にやらすことだ
これからの時代はよそ者が活躍する時代かもしれない
最近は外人の職人さんが増えて日本人以上の腕前の人が増えている
都会人とか外人とか田舎暮らしの意欲のある人が増えている
よそ者を入れよそ者が社外取締役のような役割をしつつある
そのうち日本の職人は全部外人に地位を奪われかねない
5年前に田舎町に降りて田舎の人と付き合ってみて分かったことは
田舎の人ならば当然出来ると思いきや、全然出来ないということだ
特に田舎の若者は都会人と同じかそれ以下ということも分かった
田舎暮らしの都会の人のほうが、ずーっと知っていて出来たりする
最早、田舎の子ではなく都会の子以下になってしまっているのだ
自分の会社、自分の地域、自分の妻、自分の家族、意外に知らない
そして最も知らないものは、自分自身のことなのだ
自分のことはある意味あまり関心が薄い、満足してしまっている
ちなみに
会社も自分の息子より血のつながりのない優秀な人に継がせることだ
山暮らしも大工も山菜取りも大木伐採も私のほうがずーっとやれる
そうなると
そこで、ちょっとした大工や木の剪定を頼まれるようになった
▼話を水彩画のことに戻します
新しい事にチャレンジせず避ける傾向のある日本人に反し
高齢の元都会人の私はむしろ、必要であれば初めての事でも挑戦する
そうです、今や私はほぼどんな事も出来る都会出身の小父さん
そして最近新たに、60年ブランクの水彩画を描くようになった
水彩画をやる人が少ない、特に大人の男はほとんどいない
お勧めしても「私は是非描いてみたい」なんて人は皆無だ
是非男よ、水彩画をやることに挑戦して欲しい
私のように過去60年も描いたことのない男で60~70歳くらいの
人よ水彩画やるという人は名乗り出て欲しい
大人の男やることは、写真とか鉄道とかお宅とか、一人静かにやる、兎に角暗い
私にとって水彩画教室に1年通ったが、かなりつらかった思い出がある
恥ずかしさとも戦って来た
その1年間を、私は自分のことを「よくやった」と褒めてやりたい
その結果、私はそこそこだが水彩画を自分一人で描ける基礎は出来た
教室を止めて、その後2年のブランク後
最近は暇な時間があれば田舎の景色や家の絵を一人で描いている
実に、いいもんだ、これぞ趣味の中の一番の趣味である
山の家や田舎の家は「晴耕雨読」がすんなり出来るのだ、都会では無理
道端で描いていると通りすがりの人から「スゲー上手い」なんて言われる
「男どもよ、ざまーみろ、お前らに絵の楽しさが分かってたまるかい」
さすが都会の道路で絵を描くのは抵抗があるが、
田舎住まいだと気軽にどこでも描けるというものだ
サイクリングも鮎釣りも山菜取りも散歩も焼肉も絵描きも田舎はやり易い
今や絵の先輩として周辺の男に水彩画を勧めるが、返事は決まって
100%ノーだ、頭から「絶対にやらない」が頭に浸み込んでいる
1%のやる気もないし、絶対にやらない、バンジージャンプ以上だ
まあ何でも自分の人生の厚みや深さを増すのには役立つが
特に絵は精神的や脳トレや感覚磨きには効果的だと断言してもよい
私の場合も、水彩画を始めた事で多くの貴重な教訓や芸術センスを得た
その点2年前からこれまた全く初めての卓球も同じことが言える
これまた女性が大半、しかも下手卓球で当初はミスばかりつらかったが
これまた一年我慢して続けると今やかなりの腕前になった
水彩画も典型だが例えば卓球をやる男も少ない、卓球なんておよそ
誰でも出来ると思うのだがやろうとはしない
老人とか若い女とか運動をせねばならない人だが決してやろうとしない
国が多額な予算つけて、やっと”仕方なくやってやるぜ程度”のもの
二宮金次郎
大農は草を見ずして草を刈る
中農は草を見て草を刈る
小農は草を見ても草を刈らず
現代は小農ばかりが増えている、そんなダラシナイ時代になった
更に言えば、人間が人間でなくなりつつある時代になった
やれば楽しいがやらない理由は次の通り
①経験がない
②面倒
③好きでない、嫌い、つまらない
④恥ずかしい
⑤下手なので相手に迷惑かける
⑥苦手
⑦腰が痛い
⑧忙しい
⑨バカバカしい
⑩難しそう
まあ理由はこんなにあるから、消極的な人はどれかを理由に拒否する
そんなことでどうすると言いたいが、ごっつい筋肉質の頑健な人でも
「絵は描けない」「卓球はどうも」と女の子や子供みたいに泣き言を言うのだ
そんな理由をつべこべ言う奴は、何やっても駄目、厳しいが”人間失格”
男だったら、とりあえずやってみてから何だかんだん言え
やる前に「僕やらない」って奴を私は男とも人とも認めない
「以後、女や子供に偉そうなこと言うなよ」
そんな逃げの人生では充実した人生や楽しい老後は訪れては来ない
世の中やらない奴はやらない、テコでもやらない
泣き言ばかり言う人がいるが、そんな奴には「かーつ」と気合を入れて
やることだが、しかし相変わらずやらない
逆にやる奴は何でもやるんだが
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなり
為さぬ奴はどう言っても成すことがないオタンコ茄子
私の場合は女性ばかりの会にも、何の障害も感じないどころかむしろ心地よい
むつっとした男ばかりのクラスや会で一緒に何かやるのは愉快ではない
例えば論語教室に2回参加したが、ここは男が多かったが今一暗かった
妙にはしゃぐのも困るのだが、男はむっつりでユーモアや笑いがない
年取ったら男はユーモアはあり小まめに動くが堂々と落ち着いていて欲しい
女はかいがいしく動き機転が利き、愛想もあって、明るい元気な人が良い
女性はとにかく明るくて優しくて良い、楽しいというのが私の実感
これからの会社は、男より女性や外人を増やしたほうが成長する
私の大阪や東京の友人が送って来るメールに添付される絵画教室の全員写真も
男より断然女性が多い、「そうなんだ」と頷いてしまう
これ以降は私の勝手な所見に過ぎないが、多分そんなことだろうと思う
①男はシャイ、真面目ぽい
②男は口下手、つまらん
③下手な絵描いて恥かきたくない
④女ばかりのところは苦手
⑤理屈っぽい、付き合いづらい
⑥楽しめない、馴染まない
⑦女に比べ男のほうが意欲の減退が大きい
⑧女は人付き合いの経験が豊富、男は少ない
⑨面倒くさがる、億劫がる
⑩気軽に出来ない、考えすぎる
⑪勇気がない、意外と臆病
⑫男の趣味、おたくに埋没する
いろいろな教室やクラブを経験している人には分かるだろうが
どこも女80男20かまたは逆に男100
なぜか日本人は互角に女性と付き合いたがらない、下手なのだ
水彩画もダメ、卓球もダメ、女性と一緒はダメ
でもこの3つは案外楽しいし健康的にも良いと思うのだが
是非、固い頭をバッサリ切って柔らかい頭にすげ替えチャレンジだ
何でもやることを積み重ねていくと、やがてどんな難しい問題にも狼狽えない
ようにもなるし、素晴らしい知恵も出てくるものだ
老後の人生において大事なポイントは、何でもやってみる
やってみてから何だかんだ言う
である
何でもやって若い時や都会では出来なかったことをとにかくやってみて
嬉しい・楽しい・面白い・ためになる・・・と実感することだ
小学校東京都台東々育英小学校時代の友人の水彩画の教室の展覧会
水彩画クラブで12回絵画展
水彩画クラブで13回絵画展
水彩画クラブで14回絵画展
水彩画クラブで15回絵画展
水彩画クラブで16回絵画展
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設 東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町
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テーマ:74歳から水彩画をやって思うこと
たかが水彩画されど水彩画
貴方は水彩画をやれと言われたら1年間でもやってみますか?
私は74歳で近所の絵の先生に誘われて1年水彩画を学んだ
正直なところ、つらかったが、エイヤーで飛び込んだ
その結果、私はどうなったのか?
●ところで、
11月11日に朝から久しぶりに写生会に参加してきました
紅葉が少し始まった滋賀県高島市今津町の酒波寺
総勢23名講師2名で約4時間無心で絵を描きました
何しろ時間が少ないので色つけまでやるのは大変ですが
その後修整し、まあまあの作品になりました
***最終完成***(その後2年後に再度修正したもの)
2年後数ヵ所か気に入らない箇所修正⇒どこがどう変わったか?
***当時の修正版***(下の第一最初般の絵を一週間修整したもの)
一週間でこんなにも変わります
***第一最初版***(写生会当日4時間程度で描いたもの)
教室に参加して当初の3か月は恥ずかしいことおびただしい
74歳の男がデッサンは無論、まともに色塗りも出来なかった
でも、我慢を重ね、先輩の絵を観る、先生の指導を受けて、
どうやら1年でかなり描けるようになった
あげく近所の人には「村上さんは絵の素質がある」などと言われる
までに至ったが、私は絵の才能も素質も全くないと断言する
その才能なしの私だが、水彩画を描く度に腕を上げているのは確か
▼水彩画の話の前に少し横道に入るのをお許し下さい
私が55歳で滋賀県安曇川の山中にログハウスを買い、そこで20年
暮らした結果、かつてない、いろいろな事を勉強したり習得した
そして72歳で山を下り田舎町に引っ越してからも新たな事に
チャレンジする姿勢は変わらない
山暮らし・大工・山菜とり・剪定・大木伐採などを通じて自分にも
そんなことが出来ると思うと同時に、都会の多くの人がほとんど
そういうことを全く出来ないことも改めて知った
「都会の人は出来ない」今や「田舎の人さえ出来なく」なっている
京都でも「京都人の京都知らず」を実感したことが何度もあった
東京育ちの私のほうが京都のあちこちのことを数倍知っていた
しかしその私でも、今や、すっかり京都に関心を失った
すなわち人は同じ状況や環境に暮らし続けると堕落する
京都人は京都の事は知っているが京都の外の事は知らない
そして今や京都人は京都の事さえもあまり知らない
何故かと言うと京都人が京都の事を必要に知ろうとしないからだろう
京都人は京都に住んではいるが何となく住んでいるだけなのだ
田舎の人も何となく田舎に住んでいるだけなのだ
真剣に好きで必死に田舎に住んでいるわけではない
貴方の身の回りにも、そんなことが沢山あるはず
自分の家庭なんか、その典型かもしれない
外人が日本に来ると日本のあらゆることが新鮮で興味深く見えてくる
ところが日本人には当たり前すぎて全く気づかない
地方再生は地元の人がやっては成功しない、よそから入った者にやらすことだ
これからの時代はよそ者が活躍する時代かもしれない
最近は外人の職人さんが増えて日本人以上の腕前の人が増えている
都会人とか外人とか田舎暮らしの意欲のある人が増えている
よそ者を入れよそ者が社外取締役のような役割をしつつある
そのうち日本の職人は全部外人に地位を奪われかねない
5年前に田舎町に降りて田舎の人と付き合ってみて分かったことは
田舎の人ならば当然出来ると思いきや、全然出来ないということだ
特に田舎の若者は都会人と同じかそれ以下ということも分かった
田舎暮らしの都会の人のほうが、ずーっと知っていて出来たりする
最早、田舎の子ではなく都会の子以下になってしまっているのだ
自分の会社、自分の地域、自分の妻、自分の家族、意外に知らない
そして最も知らないものは、自分自身のことなのだ
自分のことはある意味あまり関心が薄い、満足してしまっている
ちなみに
会社も自分の息子より血のつながりのない優秀な人に継がせることだ
山暮らしも大工も山菜取りも大木伐採も私のほうがずーっとやれる
そうなると
そこで、ちょっとした大工や木の剪定を頼まれるようになった
▼話を水彩画のことに戻します
新しい事にチャレンジせず避ける傾向のある日本人に反し
高齢の元都会人の私はむしろ、必要であれば初めての事でも挑戦する
そうです、今や私はほぼどんな事も出来る都会出身の小父さん
そして最近新たに、60年ブランクの水彩画を描くようになった
水彩画をやる人が少ない、特に大人の男はほとんどいない
お勧めしても「私は是非描いてみたい」なんて人は皆無だ
是非男よ、水彩画をやることに挑戦して欲しい
私のように過去60年も描いたことのない男で60~70歳くらいの
人よ水彩画やるという人は名乗り出て欲しい
大人の男やることは、写真とか鉄道とかお宅とか、一人静かにやる、兎に角暗い
私にとって水彩画教室に1年通ったが、かなりつらかった思い出がある
恥ずかしさとも戦って来た
その1年間を、私は自分のことを「よくやった」と褒めてやりたい
その結果、私はそこそこだが水彩画を自分一人で描ける基礎は出来た
教室を止めて、その後2年のブランク後
最近は暇な時間があれば田舎の景色や家の絵を一人で描いている
実に、いいもんだ、これぞ趣味の中の一番の趣味である
山の家や田舎の家は「晴耕雨読」がすんなり出来るのだ、都会では無理
道端で描いていると通りすがりの人から「スゲー上手い」なんて言われる
「男どもよ、ざまーみろ、お前らに絵の楽しさが分かってたまるかい」
さすが都会の道路で絵を描くのは抵抗があるが、
田舎住まいだと気軽にどこでも描けるというものだ
サイクリングも鮎釣りも山菜取りも散歩も焼肉も絵描きも田舎はやり易い
今や絵の先輩として周辺の男に水彩画を勧めるが、返事は決まって
100%ノーだ、頭から「絶対にやらない」が頭に浸み込んでいる
1%のやる気もないし、絶対にやらない、バンジージャンプ以上だ
まあ何でも自分の人生の厚みや深さを増すのには役立つが
特に絵は精神的や脳トレや感覚磨きには効果的だと断言してもよい
私の場合も、水彩画を始めた事で多くの貴重な教訓や芸術センスを得た
その点2年前からこれまた全く初めての卓球も同じことが言える
これまた女性が大半、しかも下手卓球で当初はミスばかりつらかったが
これまた一年我慢して続けると今やかなりの腕前になった
水彩画も典型だが例えば卓球をやる男も少ない、卓球なんておよそ
誰でも出来ると思うのだがやろうとはしない
老人とか若い女とか運動をせねばならない人だが決してやろうとしない
国が多額な予算つけて、やっと”仕方なくやってやるぜ程度”のもの
二宮金次郎
大農は草を見ずして草を刈る
中農は草を見て草を刈る
小農は草を見ても草を刈らず
現代は小農ばかりが増えている、そんなダラシナイ時代になった
更に言えば、人間が人間でなくなりつつある時代になった
やれば楽しいがやらない理由は次の通り
①経験がない
②面倒
③好きでない、嫌い、つまらない
④恥ずかしい
⑤下手なので相手に迷惑かける
⑥苦手
⑦腰が痛い
⑧忙しい
⑨バカバカしい
⑩難しそう
まあ理由はこんなにあるから、消極的な人はどれかを理由に拒否する
そんなことでどうすると言いたいが、ごっつい筋肉質の頑健な人でも
「絵は描けない」「卓球はどうも」と女の子や子供みたいに泣き言を言うのだ
そんな理由をつべこべ言う奴は、何やっても駄目、厳しいが”人間失格”
男だったら、とりあえずやってみてから何だかんだん言え
やる前に「僕やらない」って奴を私は男とも人とも認めない
「以後、女や子供に偉そうなこと言うなよ」
そんな逃げの人生では充実した人生や楽しい老後は訪れては来ない
世の中やらない奴はやらない、テコでもやらない
泣き言ばかり言う人がいるが、そんな奴には「かーつ」と気合を入れて
やることだが、しかし相変わらずやらない
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為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなり
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女はかいがいしく動き機転が利き、愛想もあって、明るい元気な人が良い
女性はとにかく明るくて優しくて良い、楽しいというのが私の実感
これからの会社は、男より女性や外人を増やしたほうが成長する
私の大阪や東京の友人が送って来るメールに添付される絵画教室の全員写真も
男より断然女性が多い、「そうなんだ」と頷いてしまう
これ以降は私の勝手な所見に過ぎないが、多分そんなことだろうと思う
①男はシャイ、真面目ぽい
②男は口下手、つまらん
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⑥楽しめない、馴染まない
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⑧女は人付き合いの経験が豊富、男は少ない
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⑩気軽に出来ない、考えすぎる
⑪勇気がない、意外と臆病
⑫男の趣味、おたくに埋没する
いろいろな教室やクラブを経験している人には分かるだろうが
どこも女80男20かまたは逆に男100
なぜか日本人は互角に女性と付き合いたがらない、下手なのだ
水彩画もダメ、卓球もダメ、女性と一緒はダメ
でもこの3つは案外楽しいし健康的にも良いと思うのだが
是非、固い頭をバッサリ切って柔らかい頭にすげ替えチャレンジだ
何でもやることを積み重ねていくと、やがてどんな難しい問題にも狼狽えない
ようにもなるし、素晴らしい知恵も出てくるものだ
老後の人生において大事なポイントは、何でもやってみる
やってみてから何だかんだ言う
である
何でもやって若い時や都会では出来なかったことをとにかくやってみて
嬉しい・楽しい・面白い・ためになる・・・と実感することだ
小学校東京都台東々育英小学校時代の友人の水彩画の教室の展覧会
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