1月6日付 読売新聞編集手帳
いい仕事をしても認めてもらえないときがある。
もっといい仕事をした人の陰に隠れて、
目立たない。
「それに比べてお前は…」
と逆に冷たい視線を浴びる。
東京五輪でバレーボール男子チームはその悔しさを味わった。
“東洋の魔女”の金メダルに世間は熱狂し、
男子の銅メダルには見向きもしない。
日本バレーボール協会は祝賀会に男子チームを招くのをうっかり忘れた。
当時のコーチ松平康隆さんに回想がある。
〈「よーし今に見ていろ」私は金メダルの亡者になった。
一番大切な一人息子も亡くした。
もう世界一になることだけが生きがいだった〉(『若い日の私』)
大古や横田、猫田という名選手を育て、
鬼監督として「金」を手にするのは8年後のミュンヘンである。
バレーひと筋に生きて松平さんが81歳で死去した。
回想にある息子さんとは、
事故で亡くした康昌君(11歳)である。
決勝で東ドイツを破り、
悲願をかなえた大歓声のなかで、
日本から持参した形見の筆箱に
「父さんは勝ったぞ」と、
そっと語りかけた。
ミュンヘン五輪はもう40年の昔だが、
松平さんというと、
この挿話を思い出す。