日暮しの種 

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おふくろ定食を彩った名わき役

2015-02-15 08:17:22 | 編集手帳

2月10日 編集手帳

 

石屋の大将は焼き海苔(のり)が好物らしい。
「海苔と梅干がすたれるようじゃ、日本もおしまいだよ」。
往年のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』の食事場面を向田邦子さんのシナリオから引いた。

食卓には、
きっとあの小さな醤(しょう)油(ゆ)びんが置かれているだろう。
焼き海苔や納豆、目玉焼き、目刺しなど昭和のごちそうをつつましく彩った名脇役である。
キッコーマン「醤油卓上びん」で知られる工業デザイナー、栄久庵憲司(えくあんけんじ)さんが85歳で死去した。

実家は広島市の爆心地から500メートルほどの距離にあり、
原爆で父親と妹を亡くしている。

終戦を迎えて海軍兵学校から自宅に戻ってみると、
風景が無残に消えていた。
「秩序のある、美しいモノの世界」に恋い焦がれて工業デザインの道に入ったと語っている。
赤いキャップの醤油びんは、
むごい炎を知る人が悲しみを代償にして、
津々浦々の平和な食卓にともしたロウソクの灯だったかも知れない。

飯島晴子さんに春の句がある。
〈結局みんなおふくろ定食竹の秋〉。
訃報に接し、
遠い日の卓(ちゃ)袱台(ぶだい)と、
布巾(ふきん)をかけたお櫃(ひつ)と、
おふくろ定食のあれこれを瞼(まぶた)に浮かべた方もあろう。

 

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思いを受け止める「漂流郵便局」

2015-02-15 08:00:00 | 編集手帳

2月8日 編集手帳

 

ザ・ドリフターズのいかりや長介さんは人気番組「8時だョ!全員集 合」の放映後、
よく父から電話を受けた。
「おい、見たぞ」。
それだけ告げて切れる短い電話だったが、
励まされた。

年を重ね、
鏡に映る自分の姿が亡父に似て くると、
〈いつもそばに付いていてくれるのだと一人勝手におもったりするようになった〉という。
自伝『だめだこりゃ』に記す。

「また、『見たぞ』って電話くれ」。
いかりやさんなら、
そんな文面だろうか。
届け先のないはがきを預かる場所がある。
漂流物が着く浜辺のように、
思いを受け止める「漂流郵便局」。

瀬戸内海に浮かぶ粟島(香川県三豊市)にある。
一昨年、
芸術祭への参加作品として旧郵便局舎を利用し、
局留めで募ったはがきを展示した。
はがきは今も届き続け、
3600通を超えた。
開館する第2・第4土曜に閲覧できる。
本紙夕刊(大阪本社版)で紹介していた。

亡き父母へ、
早く逝った子へ、
昔心を寄せた人 へ…。
〈いまだったら言える たくさんのありがとう〉
〈会いたい〉。
読んで、
涙を流す来場者もいるという。
心に大切な人を持つ温かさを、
かみしめた。

 

 

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