secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

キル・ビルvol.2

2008-10-26 16:30:12 | 映画(か)
評価点:81点/2004年/アメリカ

監督:クェンティン・タランティーノ

二部作にした理由を、とくと味わえ!

前作までで、復讐の相手を二人殺したザ・ブライド(ユマ・サーマン)。
彼女は、三人目のバド(マイケル・マドセン)を殺すため、アメリカ・テキサスに向かう。
一方そのバドは、ビル(デヴィッド・キャラダイン)の直接の警告にもかかわらず、ザ・ブライドの復讐に対して冷静でいた。
やがて、彼の住む荒野に、ザ・ブライドは降り立つ。

Vol.1」は、おそらく日本人にとって衝撃的な作品であっただろう。
賛否両論、分かれるところだろうが、それでも「衝撃的」であったという評価は正しいと思われる。
今作は、その続編であるが、前作とは全く違う作品であると捉えた方がいい。
前作を酷評した人も、こっちは楽しめるかもしれない。
逆に、前作が好きな人にとっては、この「vol.2」は物足りなく感じるだろう。
僕は言うまでもなく、後者に属する人間だと思う。
観る前から予想はしていたが、前作のような興奮は得られなかった。
おもしろくなかったというのではなく、前作があまりにツボにはまりすぎたのだ。
世界観が全く違うこの「2」は、普通の面白さになっただけの話だ。

▼以下はネタバレあり▼

前作のテーマが復讐であるなら、今回のテーマは、邦題の副題にもあるように「ラブ・ストーリー」である。
ここで言う、「ラブ」は単なる〈恋愛〉ではなく、もっと深い、多面的な〈愛〉のドラマということである。
そして、モティーフが日本から、ウエスタンへと変化を遂げた。

「1」でもふれたように、この映画はもともと一本の映画を予定して撮られた。
おそらく、二本立てにすることが決まった時点で、この世界観の「描き分け」をタランティーノは考えていたのだろう。
日本という舞台から離れてしまったため、僕の個人的な思い入れは失われてしまったが、完成度自体は決して低くない。

前作は、まさに復讐であり、そして「武士道」精神にのっとったものだった。
刀対刀、ナイフ対ナイフ。
しかし、今作では、復讐ではなく、「過去との対峙」というドラマが軸になっている。

早い段階で、「結婚式での惨劇」の回想が始まる。
ここでは全ての謎――即ち、なぜ襲われなければならなかったのか――
という点が明かされるわけではないが、ビルとキドー(ザ・ブライド)との恋愛関係が示される。
さらに、生き埋めにあったとき、そこから脱出するために思い出すのは、かつてパイ・メイのもとで厳しい修行をした光景である。
しかし、ここでもビルとの、世話になったという過去の関係が示される。
そのほか、メキシコの老人、エステバン(マイケル・パークス)の台詞の中には、ビルとキドーとの単なる恋人同士を越えた親密な関係を示唆している。

そして、ビルとの対峙では、彼の過剰なまでのキドーへの愛が、あの惨劇を生んだ事を告白する。
また、ベアトリクス・キドー(ユマ・サーマン)が彼の元を去った理由は、ビルとの子どもをどうしても「普通の子」として育てたかったというものだった。
ビルとキドー、二人が非常につよい絆で結ばれていたことが、明かされるのである。

この二人の関係は、愛するがゆえに対立してしまう、愛するがゆえに、殺しあってしまうという哀しいまでの宿命の中で成立している。
それが、明かされると物語は「kill is love」という副題に収束されていくことになる。
ラストで彼女が泣きながら喜んだ。
それは、「娘を殺さないで育ててくれてありがとう」
「ビルがいてくれて、ありがとう」
そして「ビルが死んでくれてありがとう」という喜び、
愛する人を失った悲しみと、それでも愛する人を殺さなければならなかった悲しみ、
殺しあう事で愛しあう事ができた嬉しさ、
そして、娘を「普通の」環境で育てていけるという安堵とが交錯しているのである。

そこには、「武士道」という精神はない。
また、復讐という烈しい感情はない。
ただ、ビルとキドーという二人の「ラブ・ストーリー」が綴られているのである。
だから、エルとバドへの復讐は、大きな「見せ場」になっていない。
むしろ、人間くさい二人の姿がきっちりと描かれている。
日ごろはクールで冷徹なエルが、目を奪われたことにより狼狽する姿や、自堕落な暮らしをしている一方で刀を捨てられなかったバドの心などは、裏社会に生きる者らしからぬ人間性を見せている。

このように、過去の時間軸と、現在の復讐という時間軸を交錯させる事により、屈折しながらもピュアな「人間性」を浮かび上がらせている。

アクション映画として楽しみにして映画館にいくと、人間ドラマが展開されてとまどう、ということにもなりかねない。
また、ウエスタンや中国のカンフー映画に免疫がない人にとっては、パロディがパロディでなくなり、笑いがわからないということになるだろう。
事実、僕も理解できない笑いがたくさんあったのだろうと思う。
(笑えたのはパイ・メイのキャラクターと、ゾンビをパロった「復活」のシーンくらいだ。)
やはり、「自己満足映画」という域は脱していない。

日本人にとっては、ヤクザ映画やアニメといったわかりやすい手法をとった前作のほうが、理解しやすく、受け入れやすい(笑いやすい)ということが、実際のところだろう。
しかし、本作にこめられた人間性も、衝撃はなくとも、僕は大好きなのである。

(2004/4/26執筆)

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