secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

パリ ジュテーム おフランス新婚旅行記その7

2013-10-11 21:21:44 | 旅行記
← その6

最終日こそは、と空港までの送迎タクシーの時間までゆっくりしていた。
他の記事では書けなかった点についてすこし触れておこう。

一つはやはりスーパーマーケットだ。
日本の店舗とは違って、石造りの立派な建物の一階や二階(もしくは地下)にある。
一見するとユニクロのようなファッションの店かと見えるけれども、それが「モノップ」や「モノプリ」というスーパーである。
日本のスーパーとほとんど同じような感覚で利用できる。
やたらと乳製品が多く、逆に魚介類はほとんどが冷凍である。
冷蔵保存や冷凍保存の商品コーナーは、異常なくらい寒い。
羽織るものがなければゆっくり見ていられない。
野菜類も豊富で、日本では考えられないくらいトマトの種類が多い。

日本の食材もけっこうあり、特にカップ麺はほとんどが日本の企業名が並んでいた。
味は「SUKIYAKI」だったり「YOSENABE」だったり「TERIYAKI」だったり謎のチョイスだった。
とりあえず、その三つは買ってお土産とした。
それ以外にも日本で見かける日本食がたくさん並んでいた。
緑茶というのがあったので、手にとって原材料を見てみると「ハニー」と書いてあった。
どうやら日本のように、「甘くないソフト・ドリンク」はないようだった。
水や炭酸水は甘くないけれども、それ以外のソフト・ドリンクはすべて甘味料が含まれている。
一週間もいると日本のお茶が恋しくなってしまう。

ワインなど酒類はものすごい種類が並んでいる。
ただし、ビールは意外とそれほど種類はない。
私はほとんどハイネケンを飲んでいた。

お総菜も豊富にあり、この6日間で何度も利用した。
サンドウィッチやサラダ、パスタが主流だ。
値段は4ユーロくらいから10ユーロするものもある。
とにかくサイズは大きい。
美味しいけれども飽きてくる。
それくらい多い。
寿司も総菜としておいてある。
ただし、こちらは日本のように種類なく、サーモンが多い。

フランスパンは1ユーロしない。
これはあとで知ったことだが、フランスでは低所得者でもフランスパンくらいは誰でも毎日買えるようにということで、国が安くするように働きかけているらしい。
さらに驚くことは、法律でそのサイズが決まっているということだ。
あまりにも長いので、お土産にはできなかったが、ホテルで食べるには十分なサイズだ。

お菓子類も豊富だった。
見るからに甘そうな物が多かったが、ブリングスのパプリカ味などおもしろいものもある。

フランスにいってホテルの部屋で食事を済ませるつもりなら、簡単なカトラリーセットと栓抜き、ワイン・オープナーくらいは持って行ったほうがよいだろう。
スプーンやフォークはお土産としても売っているので、それを現地で調達するのも一つの手だ。
もう一つ、忘れてはならないのはエコバッグだ。
私たちのように毎日のようにスーパーに通わなくとも、一度はこの手の食事を経験して欲しいものだ。
スーパーに行けばその国の暮らしが透けて見えるし、物価もつかめる。
それは上海でも、香港でもそうだった。

パリではいわゆる日本のコンビニのような店はほとんどなかった。
むしろスーパーの方が多く、夜遅い時間帯まで営業していたので利用もしやすかった。
青物だけは日本とは違って量り売りだったので、戸惑ったがそれ以外はほとんど日本と同じだ。
中には総菜を温めるための電子レンジも備えているテンポも多かった。
生活雑貨も置いているし、地図やお土産物(エッフェル塔型のコニャックとか)もあった。
おすすめである。

パリに行って驚くのはその街にいる人間たちだ。
移民の国と言われるフランスだけあって、多種多様な人種の人間と出会う。
香港では地理的な影響もあってインド味のレストランが多くあった。
フランスでは日本食がブームのようで、中国料理やインド料理よりも目立っていた。
カタカナでラーメンという店もあったくらいだ。

それでもアジア人が目立っているのは観光スポットくらいで、多くの場所では本当に多様な肌の色の人々が闊歩していた。
日本人だからって構えたり馬鹿にしたりする様子はなく、自分たちとは違う国、言語の人間と話したり売買したりすることに慣れている様子だった。
日本人のような、手取り足取りというような優しさではないが、妙な眼で見られたり、不当な使いを受けたりする場面はなかった。
温かかったのだと思う。
伝統的な石造りの建築物が並ぶ街に、息づいているのは世界中の人間であることは不思議な感じだ。
世界の文化や経済をリードしているのが、ヨーロッパ特にフランスであるという自負は理解できなくもない。

パリはエスカルゴと呼ばれるように、螺旋状に街が広がっている。
その中心は第1区で、郊外の20区へ向かうほど低所得者が増える。
同じような建物が並んでいても街の雰囲気もかなり違う。
パリ20区、僕たちのクラス」にも描かれていたように、パリの経済状況はそれほど明るいものでもないのだろう。
「多種多様な人種」とはそういう意味でもある。

これも余談。
それにしても、欧米の女性は美しい。
日本の高校生や大学生が必死になってカラー・コンタクトで眼を青く見せているけれども、絶対に勝てない。
小さい顔に、真っ青の瞳は映画スターのようだ。
男性も筋肉質の人が多く、とにかく画になる。
ま、も、も、もちろん、奥さんのほうが美しいけれども。

相変わらずレーサーのようなハンドルさばきで、パリ中心部からあっというまにシャルル・ド・ゴール空港に到着してしまった。
到着後すぐに空港会社のカウンターで荷物を預け、少し早い昼食をとった。
搭乗口は「35」。
お土産を買いながら時間を潰していると、そろそろ、という時刻になった。
急いで「35」に向かい並んでいると「ここではないですよ」と英語で言われた。
どうやら場所が変わったということだった。
その番号はなんと真反対の「26」。
たしかに電光掲示板にもさきほどまでとは違う「26」と出ている。
ほとんど英語やフランス語が聞き取れない私にも、「カンサイクウコウ」という単語は聞き取れた。
あと数分で離陸時間だ。
大きなお土産の荷物を抱えながら猛ダッシュして、「ああ言葉が通じないってこういうことか」と思い知らされた。
まさかフランスの最後の最後で本気ダッシュをすることになるとは二人とも思っていなかった。
本当にラストのラストで、名前を呼ばれるほどの時間になっていた。
「ミスター・menfith(実名ね)、ミセス・menfith……」

「え? もしかしてヴェルサイユのバス状態? 全員待たせてる? 俺ら」

急いでいることを強調するため、空港で「急いで!!」と奥さんに声をかけて待ってもらった。
なんとか滑り込みセーフ(いや待たせたと思うけれど)で間に合って、乗り込むことができた。
奥さんは「もう一日どこかでホテルをとる」覚悟までしていたようだ。

汗だくになって飛行機に乗り、13時間のフライトを楽しんだ。
帰りは「世界にひとつのプレイブック」を見て、あとは寝ていた。
楽しい旅も、あっという間に終わってしまった。
あまりに準備ができていなかったので、ちょっと不安も大きかったが、本当に楽しい7日間となった。
も、も、も、もちろん、2人だから楽しかったんだけどね、うん。

→ その8

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パリ ジュテーム おフラン... | トップ | パリ ジュテーム おフラン... »

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事