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帰ってから方々にお土産を配った。
両家の実家、友人、職場などなど。
いくつかおもしろかったものをここで紹介しておこう。
ホテルの周りを散策しているときに、チョコレート・ミュージアムに入った。
行ったのは中の博物館には入らずに併設されている売店だけだった。
そこにはチョコレートに関するあらゆるアイテムが売られていた。
私たちが目に付いたのはチョコレートの石けん。
チョコレートの濃いカカオのにおいがする石けんで、使う前からちょっと溶けていた……。
冷蔵庫で保存して、使ってみたが、体に塗るとどろどろして、しかも水で流してもにおいが残る。
ネタとしてはとてもおもしろい。
ここはその他にもお手頃な価格のチョコレートの商品がたくさんある。
観光スポットの中心から少し離れたところにあるが、おすすめだ。
KIYOSUKUが通りのあちらこちらにある。
お土産物が目立つので直ぐに見つけられるだろう。
そこではなぜかマグネットが大量に売っていた。
3つで10ユーロくらいだった。
他の場所でもマグネットを見かけるので、お土産にどうだろうか。
本物の赤ワインが入ったマグネットやパンの形、エッフェル塔などなど、たくさん種類があって楽しめる。
百貨店のギャラリー・ラファイエットにも行った。
高級ブランド店が数多く出店しているが、階上にはお土産もの店も入っている。
他の所より多少値段が張る気もするけれども、ほとんどのお土産ものがここで手に入る。
便利なので、最終日付近で立ち寄ることをおすすめする。
その同じ階には本屋も入っていた。
MANGAは「ナルト」と「ワンピース」が最新刊として平積みされていた。
私が見に行った「サラの鍵」も原著が平積みされていた。
日本の「ブリーチ」や「イナズマ・イレブン」の日仏手帳というのが置いてあり驚いた。
手帳にさまざまなキャラクターの装飾がしてあるもので、15ユーロほどした。
日本にもあるのかもしれないが、それがフランスで置いてあるのだから、その影響力を察することができる。
ありとあらゆる本が置いてあり、楽しかった。
世界中の子どもたちの様子を知らせる絵本があり、それを買ったのだが、「おいおい間違ってる間違ってる」というところが何カ所もあった。
日本びいきの国と言われていても、誤解はたくさんあるようだ。
古本屋にも立ち寄る機会があり、おもしろそうなものを探したが、本好きな夫婦2人で本屋にいるときりがないので諦めた。
ルーヴル宮にもあった、パリの街並みが動く絵で楽しめる絵本があったが、あれはちょっと欲しかったかな。
配ってまわると意外とお土産は足りなかった。
たくさん買ったつもりだったが、もっと買えばよかったと思ったのは旅行にいって初めてのことだった。
(これまでの旅行では、くさすぎる豆腐など、結局誰にももらい手がいないままになってしまうものが常にあったのだけれど。)
本当に夢のような7日間だった。
2人で今でも「もう一回行きたいな」
「予想していたよりも本当に楽しかった。」と話し合っている。
私は先にも書いたように、フランスのことはほとんど何も知らなかった。
それこそ、レヴィ・ストロースやデカルトのような哲人は知っていたが、細かな歴史や地理、文化性などは無知だった。
もっと知ってから、勉強してから行くべきだったという思いはある。
他の国に行っても思うことだが、フランスは特に居心地がよかった。
天候のこともあるだろう。
街並みのこともあるだろう。
けれども、それ以上に、魅力のある街のように私たちの目には映った。
高層ビルが建てられないパリでは住宅事情が厳しいらしい。
それでもパリに住もうとする人が大勢居るというのは頷ける気がするのだ。
緯度が日本の北海道よりも高いため、冬は極寒だろう。
豊かな自然に恵まれたというのなら、日本のほうが断然豊かだ。
それでもパリなのだ。
多くの人の血が流された地でもあるパリを、人々は手放せないでいる。
そのことは嘘ではないし、きっとそこには理由がある。
その一方で、私が驚嘆したのは、フランスという国だけではなかった。
よく他国を見ることで自国を顧みることになるという話をきく。
本当にその通りなのだと思う。
私はこのフランスの数日間を通して、日本がいかにすばらしいかということを知った。
日本の影響力は、計り知れないものだということを知った。
食材や雑貨でいえば、フランスで見かけたものは日本でも見かけたことがあるものが多かった。
レストランにしても、世界中の料理を、しかも一流からB級まで楽しめる国はそうはない。
カフェばかりだったパリに住むフランス人よりも、様々な国の様々な料理が乱立している日本のほうが明らかに「成熟」していると感じる。
日本の京都よりも景観を重視している街作りには舌を巻く。
しかし、目線を下にやるとそのゴミの多さに驚かされる。
「これでもずいぶんましになった」というガイドさんの言葉にさらに驚かされる。
日本では、ゴミをゴミ箱に捨てる、というのは当たり前だし、そのあたりで歩きたばこをする人に対する目線は、とびきり冷たい。
そして何より、「働くこと」に対してこれほど前向きな国は少ないのではないだろうか。
勤務時間があるから、とバスの運転手が客を待たずに出発することなんて、日本ではまず考えにくい。
ヨーロッパで財政難に陥っているのは、働くことをいやがるからだ、と聞いたことがある。
もちろん、人によって、国によって働くことに対する意識は、ヨーロッパでもずいぶん違うのだろう。
けれども、ここまでまじめに、自分の任された仕事を、責任感を持ってこなす人々は希有なのだと知った。
ガラパゴス携帯電話が、私の職場でも時々話題に上がる。
「○○さん、まだガラケーなんですかぁ?」と絶滅危惧種のように扱われている。
私は(iPhoneだけれど)大いにガラパゴスでいいじゃないか! と言いたい。
これだけ差異化が求められる、小さくなった国際社会で、いかに他民族、他国家と違う自分たちのアイデンティティを確立させるかが「国」を守る最も重要なファクターであると思う。
世界戦略や世界にどのように自分たちを売り込むか、という方法論が不要だとは思わない。
けれども、「あの国は、日本より優れている」「世界では、日本の考えは恥ずかしい」なんていう表層的な批判は全くのとんちんかんなのではないかという気がしてくる。
明治になり開国したとき、フランスをはじめとした多くの欧州に日本人は留学した。
富国強兵を目指し、文化でも、文学でも世界に通用する国にしたいと鼻息を荒くして船に乗り込んだのだろう。
そのとき、パリの街並みを見たとき、人々が愕然としたに違いない。
石造りの巨大な建造物を見たとき、どれほどの絶望と、どれほどの羨望を抱いたのだろうか。
日本を強くするどころか、日本を豊かにするどころか、あまりにも日本との文明の違いに、焦燥よりも脱力を感じたことだろう。
今、私が13時間かけて行く新婚旅行でも同じような印象を持った。
「やっぱりフランスはすごいんだなぁ」と。
しかし、それでは帰れない。
かつて「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」ということばが日本を席巻した。
同じ事を再び唱える必要はないだろう。
ことさら日本をほめる必要はないし、自分たちを卑下する必要もないだろう。
私たち日本人は、常に、誰からも愛されたいと願っている。
できることなら敵を作りたくないと思っている。
そんな無邪気で世間知らずで一途な私たちだけが、自分たちがどのように見られているかわかっていないのかもしれない。
話は少し逸れるけれども、幼児教育で英語を学ばせようという試みが「流行」しているとテレビで特集されていた。
日本人は英語が話せないから国際社会においてけぼりになるということらしい。
確かに英語もフランス語も話せた方がよい。
特に海外旅行に行って恥ずかしい思いはしたくないものだ。
けれども、そこに本質はない。
そこには、英語を話せたら収入がアップするかもしれないという安直な短絡的な思考しかない。
「自分たちがどういう人間なのか」という視点は存在しない。
「英語を話せる人」なら10億という人がいる。
そこで「自分自身を語ることができる人」を育てるという視点が、幼児教育になくてどうする。
ドイツ語も中国語も日本語もできたという森鴎外が、幼少からドイツ語を学んでいたとは思えない。
英語もフランス語もまともに話せない私たちは、世界第3位の経済大国となった。
そりゃ、1位のほうがよいけれども。
その要因となったのは豊富な資源でも莫大な人口でも広大な土地でもない。
見た目で感動することは誰にだってできる。
表層的なところであこがれたり、GNPなどの数値で自分たちの「価値」をはかったりすることはわかりやすい。
けれども、そんな欧米目線の「わかりやすい指針」がどれだけ日本の良さを伝えているのだろうか。
身長で勝てないことをわかっていながら、身長だけで対抗しようとしているようなものだ。
技術や成績、順位や数値では表せないところに、日本は抜きんでていたからではないか。
TPP賛成?反対?
それって損得勘定だけでの議論になってないの?
「世界」を見る前に、「自分」を見る前に、 もっと本質的なところに眼を向けられる人でありたい。
どんな数値でも表せない「質」をもつ国が、日本であって欲しい。
日本の良さに、改めて気づかされるそんな旅行となった。
帰ってから方々にお土産を配った。
両家の実家、友人、職場などなど。
いくつかおもしろかったものをここで紹介しておこう。
ホテルの周りを散策しているときに、チョコレート・ミュージアムに入った。
行ったのは中の博物館には入らずに併設されている売店だけだった。
そこにはチョコレートに関するあらゆるアイテムが売られていた。
私たちが目に付いたのはチョコレートの石けん。
チョコレートの濃いカカオのにおいがする石けんで、使う前からちょっと溶けていた……。
冷蔵庫で保存して、使ってみたが、体に塗るとどろどろして、しかも水で流してもにおいが残る。
ネタとしてはとてもおもしろい。
ここはその他にもお手頃な価格のチョコレートの商品がたくさんある。
観光スポットの中心から少し離れたところにあるが、おすすめだ。
KIYOSUKUが通りのあちらこちらにある。
お土産物が目立つので直ぐに見つけられるだろう。
そこではなぜかマグネットが大量に売っていた。
3つで10ユーロくらいだった。
他の場所でもマグネットを見かけるので、お土産にどうだろうか。
本物の赤ワインが入ったマグネットやパンの形、エッフェル塔などなど、たくさん種類があって楽しめる。
百貨店のギャラリー・ラファイエットにも行った。
高級ブランド店が数多く出店しているが、階上にはお土産もの店も入っている。
他の所より多少値段が張る気もするけれども、ほとんどのお土産ものがここで手に入る。
便利なので、最終日付近で立ち寄ることをおすすめする。
その同じ階には本屋も入っていた。
MANGAは「ナルト」と「ワンピース」が最新刊として平積みされていた。
私が見に行った「サラの鍵」も原著が平積みされていた。
日本の「ブリーチ」や「イナズマ・イレブン」の日仏手帳というのが置いてあり驚いた。
手帳にさまざまなキャラクターの装飾がしてあるもので、15ユーロほどした。
日本にもあるのかもしれないが、それがフランスで置いてあるのだから、その影響力を察することができる。
ありとあらゆる本が置いてあり、楽しかった。
世界中の子どもたちの様子を知らせる絵本があり、それを買ったのだが、「おいおい間違ってる間違ってる」というところが何カ所もあった。
日本びいきの国と言われていても、誤解はたくさんあるようだ。
古本屋にも立ち寄る機会があり、おもしろそうなものを探したが、本好きな夫婦2人で本屋にいるときりがないので諦めた。
ルーヴル宮にもあった、パリの街並みが動く絵で楽しめる絵本があったが、あれはちょっと欲しかったかな。
配ってまわると意外とお土産は足りなかった。
たくさん買ったつもりだったが、もっと買えばよかったと思ったのは旅行にいって初めてのことだった。
(これまでの旅行では、くさすぎる豆腐など、結局誰にももらい手がいないままになってしまうものが常にあったのだけれど。)
本当に夢のような7日間だった。
2人で今でも「もう一回行きたいな」
「予想していたよりも本当に楽しかった。」と話し合っている。
私は先にも書いたように、フランスのことはほとんど何も知らなかった。
それこそ、レヴィ・ストロースやデカルトのような哲人は知っていたが、細かな歴史や地理、文化性などは無知だった。
もっと知ってから、勉強してから行くべきだったという思いはある。
他の国に行っても思うことだが、フランスは特に居心地がよかった。
天候のこともあるだろう。
街並みのこともあるだろう。
けれども、それ以上に、魅力のある街のように私たちの目には映った。
高層ビルが建てられないパリでは住宅事情が厳しいらしい。
それでもパリに住もうとする人が大勢居るというのは頷ける気がするのだ。
緯度が日本の北海道よりも高いため、冬は極寒だろう。
豊かな自然に恵まれたというのなら、日本のほうが断然豊かだ。
それでもパリなのだ。
多くの人の血が流された地でもあるパリを、人々は手放せないでいる。
そのことは嘘ではないし、きっとそこには理由がある。
その一方で、私が驚嘆したのは、フランスという国だけではなかった。
よく他国を見ることで自国を顧みることになるという話をきく。
本当にその通りなのだと思う。
私はこのフランスの数日間を通して、日本がいかにすばらしいかということを知った。
日本の影響力は、計り知れないものだということを知った。
食材や雑貨でいえば、フランスで見かけたものは日本でも見かけたことがあるものが多かった。
レストランにしても、世界中の料理を、しかも一流からB級まで楽しめる国はそうはない。
カフェばかりだったパリに住むフランス人よりも、様々な国の様々な料理が乱立している日本のほうが明らかに「成熟」していると感じる。
日本の京都よりも景観を重視している街作りには舌を巻く。
しかし、目線を下にやるとそのゴミの多さに驚かされる。
「これでもずいぶんましになった」というガイドさんの言葉にさらに驚かされる。
日本では、ゴミをゴミ箱に捨てる、というのは当たり前だし、そのあたりで歩きたばこをする人に対する目線は、とびきり冷たい。
そして何より、「働くこと」に対してこれほど前向きな国は少ないのではないだろうか。
勤務時間があるから、とバスの運転手が客を待たずに出発することなんて、日本ではまず考えにくい。
ヨーロッパで財政難に陥っているのは、働くことをいやがるからだ、と聞いたことがある。
もちろん、人によって、国によって働くことに対する意識は、ヨーロッパでもずいぶん違うのだろう。
けれども、ここまでまじめに、自分の任された仕事を、責任感を持ってこなす人々は希有なのだと知った。
ガラパゴス携帯電話が、私の職場でも時々話題に上がる。
「○○さん、まだガラケーなんですかぁ?」と絶滅危惧種のように扱われている。
私は(iPhoneだけれど)大いにガラパゴスでいいじゃないか! と言いたい。
これだけ差異化が求められる、小さくなった国際社会で、いかに他民族、他国家と違う自分たちのアイデンティティを確立させるかが「国」を守る最も重要なファクターであると思う。
世界戦略や世界にどのように自分たちを売り込むか、という方法論が不要だとは思わない。
けれども、「あの国は、日本より優れている」「世界では、日本の考えは恥ずかしい」なんていう表層的な批判は全くのとんちんかんなのではないかという気がしてくる。
明治になり開国したとき、フランスをはじめとした多くの欧州に日本人は留学した。
富国強兵を目指し、文化でも、文学でも世界に通用する国にしたいと鼻息を荒くして船に乗り込んだのだろう。
そのとき、パリの街並みを見たとき、人々が愕然としたに違いない。
石造りの巨大な建造物を見たとき、どれほどの絶望と、どれほどの羨望を抱いたのだろうか。
日本を強くするどころか、日本を豊かにするどころか、あまりにも日本との文明の違いに、焦燥よりも脱力を感じたことだろう。
今、私が13時間かけて行く新婚旅行でも同じような印象を持った。
「やっぱりフランスはすごいんだなぁ」と。
しかし、それでは帰れない。
かつて「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」ということばが日本を席巻した。
同じ事を再び唱える必要はないだろう。
ことさら日本をほめる必要はないし、自分たちを卑下する必要もないだろう。
私たち日本人は、常に、誰からも愛されたいと願っている。
できることなら敵を作りたくないと思っている。
そんな無邪気で世間知らずで一途な私たちだけが、自分たちがどのように見られているかわかっていないのかもしれない。
話は少し逸れるけれども、幼児教育で英語を学ばせようという試みが「流行」しているとテレビで特集されていた。
日本人は英語が話せないから国際社会においてけぼりになるということらしい。
確かに英語もフランス語も話せた方がよい。
特に海外旅行に行って恥ずかしい思いはしたくないものだ。
けれども、そこに本質はない。
そこには、英語を話せたら収入がアップするかもしれないという安直な短絡的な思考しかない。
「自分たちがどういう人間なのか」という視点は存在しない。
「英語を話せる人」なら10億という人がいる。
そこで「自分自身を語ることができる人」を育てるという視点が、幼児教育になくてどうする。
ドイツ語も中国語も日本語もできたという森鴎外が、幼少からドイツ語を学んでいたとは思えない。
英語もフランス語もまともに話せない私たちは、世界第3位の経済大国となった。
そりゃ、1位のほうがよいけれども。
その要因となったのは豊富な資源でも莫大な人口でも広大な土地でもない。
見た目で感動することは誰にだってできる。
表層的なところであこがれたり、GNPなどの数値で自分たちの「価値」をはかったりすることはわかりやすい。
けれども、そんな欧米目線の「わかりやすい指針」がどれだけ日本の良さを伝えているのだろうか。
身長で勝てないことをわかっていながら、身長だけで対抗しようとしているようなものだ。
技術や成績、順位や数値では表せないところに、日本は抜きんでていたからではないか。
TPP賛成?反対?
それって損得勘定だけでの議論になってないの?
「世界」を見る前に、「自分」を見る前に、 もっと本質的なところに眼を向けられる人でありたい。
どんな数値でも表せない「質」をもつ国が、日本であって欲しい。
日本の良さに、改めて気づかされるそんな旅行となった。
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