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教師も親もですが、子どもがなにかよくないことや失敗をしたと言ってきたとき、多くの大人は説教をします。
「今日、友だちとのからかいあいから、ついカッとなって、相手に手を出した」と、告白してきました。
「前からも言ってたでしょう。腹が立っても、暴力をふるったらダメと。なぜあなたは我慢できないの」。
大人からしてみれば、子どもが同じ失敗をしないようにと思い、説教になります。
でも、子どもにしてみれば、自分が暴力をふるったことよりも、叱られることや説教されることに反応します。
しつこく言わなくて、わかってるよ。自分が悪かったと思い、打ち明けているのに。
いったんこう感じたら、おとなからのあとの言葉は入っていきません。
口うるさく言われたことしか覚えておれなくなります。
これが、説教ではなく、親から殴られたときには、もっと顕著です。殴られことしか覚えていないということになります。
子どもが本当に望んでいたのは、「からかわれて、悔しかったんだよな」(共感)と言ってほしかったことです。説教を受けることを望んではいなかったのです。
共感した後で、「だから、次からはこうしたらいいね」と言葉を発すると、子どもの心中にストンと落ちます。
これで、次からはどうするかという軌道修正ができ、今後の行動変化に期待できます。
悔しい、腹立たしいという思いでおとなに打ち明けたのに、叱られただけなら、「あんな教師には、あんな親には二度といわない」となります。
中学生なら、「次からは言わない」と隠すようになります。
だから、まずは共感なのです。あの先生なら聴いてくれる、家に帰れば安心して話せる。嫌なことがあっても、聴いてもらえる、気持ちがスッキリする。
そんな関係、そんな場所がHOMEです。HOMEに子どもは近づきたいと思うのです。