どうせわたしなんか、いてもいなくてもかわらない。
わたしのことなんか、わかってくれる人なんていないし。
わたしなんか勉強できないし。
わたしって、友だちが少ないし。
先生は、ほかの子とは話すけど、わたしとは話さない。
わたしは、ずば抜けてスポーツができるわけではない。
親は、毎日忙しく、わたしのことなんてかまっていられない。
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これらの思いや言葉は、すべて否定から入っています。
こうなるお、対人関係に対して、開かれた関係がつくりにくくなります。
傷つくのをおそれ、「よろい」を着け、守りにはいり、人との関係が円滑にいきにくくなります。
否定から入れば不満が積もり、
肯定から入れば発見がある。
一方、肯定から入れば、心が外に開き、外の環境に親和します。
外界や人との関係に、目を開いて見ることになります。
今まで気がつかなかったことに気づくこともあるでしょう。
ものごとを肯定的に見ることにより、発見があります。
中学生と話していて、感じるのですが、ときどき、なんでも否定的に話す生徒がいます。
逆に、まっすぐな心で素直にものごとをみつめて話す子もいます。
友だちと衝突しても、前向きにとらえて考える子がいます。
ただし、否定的に考える生徒と肯定的に考える生徒のどちらがいいかという問題ではありません。
否定で見るのも肯定で見るのも、今までのその子の経験が、そうさせているのです。
否定的な子も肯定的な子も、もともと一人の人間として、同じ価値があります。
そのことを踏まえた上で、否定的に見ること、肯定的に見ることという行為や考えかたそのものを問題にするべきです。
つまり、その子自身の存在そのものとその子の行為・考えかたを、明確に分けて、アドバイスしたい。
そのとき、上記の言葉は、いきてきます。否定的に見がちな子の心に届くことが多いのです。