
私が英語科の教員として、授業を担当していたころのことです。
中学1年生の生徒で、英語は好きだけど、テストになると、なかなか点数の取れない子がいました。
勉強のしかたの相談にのったりしていました。
たしか2学期の期末テストでしたが、その生徒は80点台の後半の点数をとりました。
いつも平均点ぐらいの点数だったので、私は名前の横に、点数を記入するだけでなく、Very good.と書きました。
そのことは、忘れていましたが、大学進学が決まり、英文科へ行くと報告に来てくれました。
二人で中学生時代を思い出して話していました。
私はそのテストのことは気に留めていませんでしたが、その生徒はしっかりとおぼえていました。
「先生のVery good.があったから、今がある」と言っていました。
20点以上点数があがったときに書いてくれたVery good.が、ほんとうにうれしかったそうです。
がんばればいつかは努力が実ると思いました。
それを、先生も認めてくれたと感じてうれしく思ったそうです。
この生徒の場合、本人が英語の学習にがんばるというプロセスがあり、結果的に点数が上がりました。そのタイミングで教師が
Very good.とほめたという3つの事実が重なって、生徒の自信となったのです。
もし、Very good.がなければ、本人だけの喜びにおさまってしまったでしょう。
私は、そのように考えました。
ほめることの教育的効果はたしかにあります。
かといって、「ほめる」とはおだてて、その気にさせる行為ではありません。
事実に基づいて発することばです。
しかも、そこにはタイミングも必要だと思います。