私の家には井戸があります。
いまは、水道水をほとんど使うので、井戸水はあまり利用していません。
でも、私が子どもの頃は、スイカを井戸に入れて冷やしたりしたことがありました。
今の人は、家を建てたり、学校を建てたりするときに、簡単に井戸を埋める場合が多いのです。
ただし、うちでは家を建て直すとき井戸を埋めたりはしませんでした。井戸はそのまま残して、いまは金網のふたをかぶせて井戸の水が外気に触れるようにしています。
わたしが4年間勤務していた箕面三中では、学校創設時に井戸を埋めざるをえなかったそうです。
そこで、今は学校敷地内に噴水池(七ツ角の井)や蓮池(弁慶の鏡水)、上の坪・下の坪として、井戸跡を復興しています。
井戸を人は簡単に埋めようとしますが、それはとんでもないこと。
汗水を流して掘って、掘って、掘り進んで、やっと水が湧き出たのです。
そんな先人の苦労を顧みず埋めることは忍びないという思いになります。
いま、私は仕事で箕面五中も回りますが、私は初任者として新設校・箕面五中に着任したのが35年以上前でした。
私も初任者でしたが、新設校をつくる役割の一端を担ったと思っています。
この学校は、いまの五中の教職員がつくったのではなく、先人たちが様々な苦労を重ねてつくりあげたものなのです。
そして、その着工の前には、「地域に学校をたてるのだから」と、大切にしていた田んぼや土地を泣く泣く提供してくださった箕面市稲の人びとの理解と協力がありました。
今の自分があるのは、誰かしらの上司や先輩がいてくれたからこそであると、忘れないでいたいと思うのです。