みなさんは、中学校の国語で芥川龍之介の『トロッコ』を学習したのではないでしょうか。
私も中学1年のとき、この『トロッコ』を学習しました。
この作品はいまも中学生の国語の教科書に載っています。
わたしが去年、箕面市内の中学校の国語で、『トロッコ』を教材にした授業を参観していた時のことです。
工事用のトロッコにのせてもらった良平は、最初は嬉々として楽しんでいます。
でも、トロッコが滑走するうちに、あまりにも遠いところまで来てしまい、だんだんと不安な気持ちが高まってきます。
その良平の心情の変化を、作品の描写の移り変わりから読みとるのがこの授業のねらいです。
ある生徒は、みかん畑のみかんの「匂い」→明るい、石油の「臭い」がした紙に包んだ菓子→暗い」と良平の心情の変化していくことに気がつきました。
授業者(=教師)は生徒の間をまわるなかで、その生徒の読みとりを的確に把握していました。
ある生徒は、みかん畑のみかんの「匂い」→明るい、石油の「臭い」がした紙に包んだ菓子→暗い」と良平の心情の変化していくことに気がつきました。
授業者(=教師)は生徒の間をまわるなかで、その生徒の読みとりを的確に把握していました。
あとでその考えをクラス全体の場へ引き上げ、他の生徒たちに紹介しました。
さらに別の生徒が「匂い」から「臭い」と漢字が変化していることを加えて指摘しました。
結果的にクラス全体の読みとりが広がり.深まりました。
ふつう、授業者は前もって「授業案」を作って、授業に臨みます。
授業の「つかみ」に何をもってきて、ひろげて「展開」していく部分、「まとめ」の部分という学習の流れを予定しています。
さらに別の生徒が「匂い」から「臭い」と漢字が変化していることを加えて指摘しました。
結果的にクラス全体の読みとりが広がり.深まりました。
ふつう、授業者は前もって「授業案」を作って、授業に臨みます。
授業の「つかみ」に何をもってきて、ひろげて「展開」していく部分、「まとめ」の部分という学習の流れを予定しています。
また、生徒への「発問」を何にするか、予想される子どもの反応をふくめて、1枚のシートにまとめたものが「授業案」です。
ところが、授業者は40名近くの生徒を相手に、授業をします。予定通り、授業が進行しないことも多いものです。
授業経験の少ない教員ほど、「授業案」どおりに授業を進めようとします。
授業とは、授業者が予定した通りに進むものでないことが多いのですが、予定通り授業を進めなければならないというとらわれが強いからです。
ところが、授業者は40名近くの生徒を相手に、授業をします。予定通り、授業が進行しないことも多いものです。
授業経験の少ない教員ほど、「授業案」どおりに授業を進めようとします。
授業とは、授業者が予定した通りに進むものでないことが多いのですが、予定通り授業を進めなければならないというとらわれが強いからです。
そうすると、生徒が発するつぶやきや意見が、教師のふるいにかけられ、予想していなかった生徒の意見は、「ストライクゾーン」からはなれた「ボール球」として扱ってしまいます。
この「みかん畑のみかんの匂い→明るい、石油の臭いがした紙に包んだ菓子→暗い」も「匂いが臭いに変わっていること」は、授業案の予定にはなかったかもしれません。
参観した授業は、授業者がそれぞれの生徒がどんな「つぶやき」をしているかを的確につかみ、全体の前に発表させて、柔軟に対応していきました。
この「みかん畑のみかんの匂い→明るい、石油の臭いがした紙に包んだ菓子→暗い」も「匂いが臭いに変わっていること」は、授業案の予定にはなかったかもしれません。
参観した授業は、授業者がそれぞれの生徒がどんな「つぶやき」をしているかを的確につかみ、全体の前に発表させて、柔軟に対応していきました。
多くの人が学校時代に授業を受けています。だから、授業とはどんなものかをご存知です。
しかし、教育のプロとして実践する授業は、専門性が高く、奥の深いものであり、教師の授業の準備(「授業研究」とか「教材研究」と呼びます)は、きわめて大切なものです。
そして、授業は予定調和しないことも多いのです。授業経験の多い教師や授業がうまいと言われる教師は、子どもの深い学びを生み出すことができます。
そして、授業は予定調和しないことも多いのです。授業経験の多い教師や授業がうまいと言われる教師は、子どもの深い学びを生み出すことができます。