新型コロナウイルスは、未知のウイルスであり、多くの人がその人の立場で、対応に四苦八苦、試行錯誤することになります。
こんなときには、政策や対応の方針をきめるのに、頼りにするのは専門家の意見です。その意見や具申を聞き、試行錯誤しながらやっていくのが望ましいのです。
ただし、その専門家の意見はもしかするとbestでないかもしれない。でも、betterであることはたしかです。
じっさい、マスクの励行や消毒の効果は大きいのではないでしょうか。
例年ならもう学校ではインフルエンザ感染者が出始める頃ですが、今年は感染者がほとんど報告されていません。
したがって、新型コロナウイルスに関する科学的根拠に基づく専門家の意見を聞き、対応策や政策に反映される必要があるのです。
くわえて、社会全体で新型コロナウイルスに向き合っていくには、その専門家の意見を人びとに正確に伝えることが必要になります。
その点で、メディアがもつ、正確な情報を人びとに伝えるという役割に注目するのです。
しかし、いまはインターネット上を使い、みんなが「専門家」になり、自由に意見や考えを表すことができるしくみがあります。
したがって、新型コロナウイルスに関する科学的根拠に基づく専門家の意見を聞き、対応策や政策に反映される必要があるのです。
くわえて、社会全体で新型コロナウイルスに向き合っていくには、その専門家の意見を人びとに正確に伝えることが必要になります。
その点で、メディアがもつ、正確な情報を人びとに伝えるという役割に注目するのです。
しかし、いまはインターネット上を使い、みんなが「専門家」になり、自由に意見や考えを表すことができるしくみがあります。
でたらめな情報もインターネット上にあふれています。
このような状況では、テレビのニュースや新聞記事には、信頼できる情報を伝えることがより一層求められます。
このような状況では、テレビのニュースや新聞記事には、信頼できる情報を伝えることがより一層求められます。
たとえば、医療従事者の現場での苦闘のありさまを伝え、新型コロナウイルスに関する忌避・偏見を取り除き、応援する人々を増やしたのはテレビや新聞での報道の効果であったと考えることができます。
でもそんなプラス面だけではなく、今回はマイナス面もあったと私は感じています。
たとえば、「夜の街関連」という言葉をテレビや新聞は何度も何度も流しました。行政をつかさどる長たる人も放言していました。
しかし、なんでもひとくくりにしてそのグループを特徴づけると、そこに感情が起こってきます。感染を拡大させているのは「夜の街」だという印象を人びとに植え付けます。
今回、「夜の街」に従事する人をひとくくりして、「夜の街関連=いけない人たち」と印象づけることに、テレビの番組や新聞記事も多分に「貢献」しました。
とくに、マスメディアといわれる媒体は、同じ情報を異なる番組が共通して一斉に、繰り返して流すので、読む人や見る人は「ああ、そうなのか」と思ってしまいます。
じつにこわいことです。
正しい情報とは、じかに人がそのひとくくりにされたグループの中の人と実際に出会うことで、印象は大きく変わることも多いものです。
実際に会ってみると世間で言われることとは大違いということも多いものです。その人と親交が深まることも多いものです。
人を介在させることなしに、グループで人をひとくくりにして「みんながそうである」ときめつけないこと。
その役割がメディアに強く求められます。
学校教育も、グループは人そのものではないことを児童生徒に教えることが大切です。
学校教育も、グループは人そのものではないことを児童生徒に教えることが大切です。
人をグループとして見るのでなく、それぞれ生きている個人として、多面的に見る感覚や習慣を身につけさせることがぜひとも必要です。