日本ではサッカーワールドカップの話題でもちきりです。
開催国カタールへ行けば、おそらく大きな盛り上がりの大会、熱戦を観ることができるでしょう。
日本戦を見にカタールに向けて飛行機で出かけた人もいると聞きおよびます。
昨夜の試合で、日本は残念ながらクロアチアにPK戦で敗れました
でも、今回の日本チームの健闘には多くの日本人が応援しました。
しかし、カタールでのワールドカップ開催にあたり、カタールの負の側面に抗議する人は日本人の中にはほとんどいません。
スタジアムを建設するために6000人以上が命をなくしたことやセクシャルマイノリティへの抑圧、懐疑的な温暖化ガスの排出ゼロのスタジアムなど、カタールの問題は世界のメディアにより明らかにされました。
これらは「スポーツ・ウォッシング」という、スポーツの華やかさや盛り上がりで、人が生きていく上で許されない国内の問題を洗い流してしまう行為です。
それに対して、ヨーロッパの国々は抗議の声をあげました。
ドイツチームの選手は抗議活動をしました。
ところが、日本政府は傍観の態度をとり、国民は日本チームの応援にうつつをぬかしてカタールの負の側面などどこ吹く風。
日本チームの選手まで、抗議活動を態度で表す人は一人もいません。
大会での行動がはばかられるのなら、ツイッターなどのSNSでの書き込みなどで声をあげることもできますが、そんな選手は(知るかぎり)一人もいません。
問題というものは、問題であると認識されて、はじめて問題になるのです。
人びとの間で同調圧力がはたらく日本という特徴も関係するのかもしれません。
しかし、スポーツを応援することと人間の尊厳に関わる問題は別のものではないのです。
おかしいことには声をあげる人でありたいと思います。
でないと、気がついたときには、自分たちではどうすることもできない力や権力に覆われ、身動きできない、言いなりになってしまう社会が到来すると危惧するのは、わたしだけでしょうか。
流石に、元,校長先生♪
中近東の問題点等は、殆ど日本では取り上げられませんので〜
ウクライナばかり取り上げられ、イスラエルがパレスチナを絶えずいじめている事実は殆ど触れられない〜
イランはイスラム教と言うだけで男尊女卑のように扱われていますが、実際は女性の方が大学進学率が多い
大体,外国のニュースは、多くがアメリカ経由なので、既にフィルターがかかっていますね。
『パンとサーカス』が上手く行って、日本人は自分で考える力が弱っているように感じます。
大体,『日本会議』の存在を知らない人が多過ぎです。
でないと、気がついたときには、自分たちではどうすることもできない力や権力に覆われ、身動きできない、言いなりになってしまう社会が到来すると危惧するのは、わたしだけでしょうか。>
さくらもちさんの記事からきました。極めて強く共感します。日本人はこういった声をあげる人を賞賛するどころか出る杭は打てといわんばかりに小馬鹿にする人が多いのですよね。心まで支配されてしまっています。
さらに、一般的に日本人は周りからどう思われるかをたいへん気にして、それを踏まえ自分の言動をきめるという習慣が、声をあげないという事情につながっているのかとも考えます。
ただ、そういうことを続けていたら、いつかは後悔するようにならないかと危惧します。
あるドイツの農民が述懐していました。
農園で野菜を育てる農夫は、いつも野菜を見ているので気がつかなかったが、あるときとてつもく大きくなっていることを知った。
これは、ナチスドイツのヒットラーの勢力拡大に気がついたときには、もう自分たちはがんじがらめになっていて、どうすることもできなかったというヒストリーを比喩した言葉です。
今の声をあげない日本人、そして為政者の間違った政策が行き渡ってしまう状況と重ねて、意味深い言葉だと受け止めています。