母親の育児不安について、世間では十分理解さていないようです。
「かわいいわが子なのに。」
「なぜ子どもをかわいがることができないの。」
「そんなに不安にならなくても、子どもは育つものよ。」
わが子への虐待に走った人に関しても、理解に苦しむ人が少なくありません。
「わが子に手を出す親なんて、いったいどうなっているのか。」
このような声が聞こえてきます。
しかしながら、時代がちがいます。
三世代で住んでいて、おじいさん・おばあさんがみてくれる。
近くにおじいさん・おばあさんがいて、何かあったら保護者は頼ることができる。
もう少し時代をさかのぼると、近所の人がみてくれる。
そんな時代ではありません。
まして、夫が子育て、家事に無関心が重なると、母親一人に子育ての重荷がかかってきます。
こんな子育て体験談があります。
授乳、オムツ替え、寝かしつけに追われる日々。
一晩中泣きわめく息子を腕がちぎれるほど抱き続け、一睡もせず夜が明ける。
息子が寝た時間は、掃除や洗濯、食事の支度に追われる。
私は食事はおろか、お手洗いにも行けない。
それでもはじめの1ヶ月は、かわいい息子に笑いかけようと、必死で作り笑いをした。
でもいつしか、作り笑いもできなくなった。
ほんの1時間でもいいから一人で休みたいと夫に助けを求めるも、「こんなかわいい赤ちゃんと24時間いられるなんてうらやましい」と笑顔でかわされる。
夫は「家にいても手伝えることはないから」こ、土日は夕方まで外出する。許せなかったが、専業主婦である罪悪感から文句を言うことができない。
周囲の友人や先輩ママからは口々に、「罪悪感なんか持つことない。堂々と協力を求めるべきだよ」と背中を押してくれたものの、私一人が我慢すればと、不満をすべて自分の中に押し込めることしかできなかった。
しかしながら、我慢にも限界がある。出産して3ヶ月が経つころ、私の怒りの対象は、しだいに夫から息子へと移ってしまった。
お昼寝から目覚めた息子がヒイヒイ泣けば、私は舌打ちをしてベビーベッドへ行き、オムツを替え、授乳する。
ようやく寝た息子をベッドに置けば、息子はパチっと目を開け、「置くな!」と言わんばかりに泣きながら手を伸ばす。私はしかめっつらで息子をあやした。
息子は2歳になった。よちよち歩きを始めたこともあり、これまで以上に目が離せなくなった。当時はとても口に出して言えなかったが、私は育児にうんざりしていた。
できればやめたい。なぜ自分を犠牲にして、毎日子どものために同じことをくり返しているのだろう。
私だって行きたい場所があるのに、行けるのは息子が行きたがるテーマパークばかり。見たいテレビがあるのに、息子と幼児番組を見なきゃいけない。
何にもできない、どこへも行けない。育児を始めたことを、ただ後悔する日々だった。
その日も、私は息子と手をつないで夕方の散歩に出かけた。外に用事がなくても、せまいアパートで2歳の息子と二人きりでいるのがつらかったのだ。義務的に息子と二人で家の近くを歩くも、心はいつも通り沈んでいた。
(以下略)
これは今40歳前半になる女性の手記(『PHP 』No.895号より)です。
育児不安や子育ての孤立経験を綴っておられます。
多かれ少なかれ、今の子育ての困難を理解することができます。
このあと、この母親は白髪の婦人と運命的な出会いをします。
別れ際に婦人は、「お母さん、今はいろいろ大変だと思うけど、こういう時期は本当にすぐに終わっちゃうから、こんなにいい子だからね。どうか大事にしめあげて、ね」と懇願するようなまなざしを向けてくれました。
このとき、なぜかこの母親は素直になり、「はい」とうなずいたのでした。
それが大きなきっかけとなり、母親は前を向き歩き出すことになったのでした。
いまお子さんは中学生になられているそうです。
子育てについて、誰か一人でも育児の不安や孤立無縁と感じている母に声をかけ、思いを聴くことで支えてくれる人が必要なのです。
そのような時代を、私たちは生きているのです。
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