わたしは教育について語るとき、それは自身の約40年にわたる教職経験がもとになっています。
なぜなら経験したことは事実や現実に基づくからです。
そして経験したことは、聞く人にとって説得力があります。
「傾向」や「数値」「公式」や「平均」というひとくくりがとりこぼしてしまう個別具体的な「経験」の中にこそ、本当に普遍的なものがあると言っていいでしょう。
だから、人は対面した交流を通して他者の経験を聞き、共感しあい、ものごとを共有するのです。
ところが、おそらく今後chatGPTの利用は、飛躍的に増えるでしょう。
スマホの利用が爆発的に広がったように。
chatGPTは、聞き及ぶところでは人工知能を使い、世の中に溢れる情報から「傾向」「数値」「公式」「平均」に基づき生成された答えを導き出します。
それは個々人の経験に基づくものではなくなるのではないかと、わたしは考えています。
美術や音楽についても、今後は人工知能が作った作品が急増するのではないでしょうか。
過去のたくさんの人の作品のデータからできた作品が出回ることになるでしょう。
そうなると、芸術こそ作者の経験が生み出すものであったのに、経験は切り捨てられていくのではないかと懸念します。
今後も自分の経験に基づかないことは語らない。
これが、chatGPTとの付き合い方になるのではないかと思うのです。
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