
中学校教育を通して思うことがあります。
それは、子どもが納得して学ぶのは、相手が「自分の好きな人」である場合だけです。
小学生の中学年ぐらいまでの子どもなら、相手のおとなが「こうしなさい」と言えば、聞こうとするかもしれません。
しかし、思考力や判断力が育ち、自我が育ちだした子どもは、教えようとするおとなが「きらいな人」なら、学ぼうとはしません。
じつは、おとなでも同じです。尊敬できる人からしか、人は学ぼうとはしないのです。
あるいは、信頼できる人の言うことなら、聞こうとするのです。
自分の信じていることや自分の価値観を揺さぶるような経験ができるのは、相手が「好きな人」である場合だけです。
学校でなら、どんなにいいことやすばらしいことをを言ってくれたとしても、信頼できない教師、好きでない教師からは学ぼうとしないのです。
生徒を叱る場合も、信頼関係がある教師と生徒の関係なら、この人の言葉なら受け入れようとするのです。
その前提をおさえた上で、教師がどんなときに生徒を叱るかは、個人の感覚によって異なるものです。
教師によって「これは叱るべき」と考える基準にはばらつきがあるものです。
そこで、これは叱るべきだという第一の基準は、人の命にかかわることや人の尊厳にかかわることの場合になると、わたしは思います。
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