昨日は中秋の名月でした。
さて、中国の漢詩(漢文)を中学3年のとき習いました。
それは李白の詩でした。
「故人西のかた 黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
弧帆の遠影碧空につき
ただ見る長江の天際にに流るるを」
この「碧空」は青い空という意味で、「碧」は「青い」という意味であると今でも覚えています。
「碧」を使った別の詩を見つけました。
中国の唐の時代に『寒山詩』という詩集があります。
「吾心似秋月」(「吾が心は秋月に似たり)は」、「碧譚(へきたん)清うして皎潔(こうけつ)たり」とつながります。
私の心は秋の月のように澄みわたり、青々と水をたたえた湖は汚れなく清らかかである。
私たちは日々の暮らしで、貪欲や気にくわない人を排除する気持ちなどで曇った心になります。
たとえどんなに曇ったように見えても、月は汚れることがないですし、湖の水は清らかなのです。
そのような気持ちでありたいものです。
真夏とちがい、空気が少し冷ややかで澄んでいて、くっきりと夜空に浮かぶ満月をみ 見ることができました。
さて、中国の漢詩(漢文)を中学3年のとき習いました。
それは李白の詩でした。
「故人西のかた 黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
弧帆の遠影碧空につき
ただ見る長江の天際にに流るるを」
この「碧空」は青い空という意味で、「碧」は「青い」という意味であると今でも覚えています。
「碧」を使った別の詩を見つけました。
中国の唐の時代に『寒山詩』という詩集があります。
「吾心似秋月」(「吾が心は秋月に似たり)は」、「碧譚(へきたん)清うして皎潔(こうけつ)たり」とつながります。
私の心は秋の月のように澄みわたり、青々と水をたたえた湖は汚れなく清らかかである。
私たちは日々の暮らしで、貪欲や気にくわない人を排除する気持ちなどで曇った心になります。
たとえどんなに曇ったように見えても、月は汚れることがないですし、湖の水は清らかなのです。
そのような気持ちでありたいものです。
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