教育関係者として思うのは、年齢を問わず子どもとはかわいいものであるということです。
理性をもって感情を抜きにして考えると、子どもを育むのは手間がかかります。
子育てはどのように考えても楽な仕事ではありません。
しかし、子どもには論理性を越えたかわいらしさがあるのです。
小さな子なら、極端にいえば、一日一日で昨日できなかったことが、今日はできるようになることもあります。
小学生なら、おとなに絶対の信頼を寄せるのがふつうです。
中学生・高校生なら、自分で考え、自分で行動することに、おとなは成長を感じてうれしくなります。
大学生なら、おとなとして対等にコミュニケーションができることに頼もしさを感じます。
わたしは、それが子どものかわいらしさだと思います。
ところで、生物学的にみると、人間は動物、とくにほ乳類のなかでも、ヒトの子どもはとても「ひ弱」です。
赤ちゃんは一人で食べ物をえることができないですし、危険に直面しても避けることができません。
放っておいたら、一人で生命を維持できず死んでしまうのです。
それなのに、なぜ人類は生き残り、ここまで繁栄したのでしょうか。
それは、他者との関わりの中で、集団で子育てをしてきたからではないでしょうか。
日本の場合なら、父母のみならず、祖父母や近所の人、地域の人が子育てにかかわるしくみが社会の中にありました。
しかし、昭和から令和に移り変わる間に、そのしくみはまったくと言っていいほど、なくなってしまいました。
今の若い子はそのような時代がついこの前まであったことなど知るよしもないほど、育ててもらうのはお母さんやお父さんしか思い浮かばないのです。
今の時代、一人の子どもが成人するまでにかかわるおとなの数は、50年前に比べて圧倒的に少なくなっています。
だから、両親への子育ての負担が、かってないほど重くなっているのです。
幼児虐待や育児放棄は、ある意味で子育てを両親だけに押しつける社会の歪みが生み出しているとも考えることができます。
それが、「子育てはたいへん」となり、少子化を加速させるのです。
だだ、それでも、基本的に子どもは理屈をこえてかわいい存在です。
中学校教育でも、まだまだ幼かった1年生が卒業のとき、体格的にも精神的にも大きく成長して巣立っていくとき、万感の思いで送り出す教師の喜びは大きいのです。
できるだけ多くのおとなが、子どもの成長にかかわる、昔とはちがうゆるやかなつながりの人間関係で、子どもがかわいいと思える子育て・教育を編み直していくべきかと思います。
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