私は退職するまでに買いためた服がけっこうたくさんあります。
退職してからは、家にいる時間も増えましたので、そんなにたくさんの服がいらなくなりました。
そこで、着ない服は処分しようと思うのですが、これがけっこう、わたしにとっては難しいのです。
そのとき、自分の気持ちとしては、「また、今度着るかもしれない」となるのです。
しかし、実際に着る機会はなかなか訪れず、物がなかなか減りません。
「12月の◯日にこのスーツが必要になる」ではなく、「いつか必要になる」は、たんなる見込みというか可能性です、
つまり、とっておくことにこだわる気持ちは、要するに「可能性」に縛られているのです。
逆に、可能性が皆無のときは、私たちは悩まないのです。こだわりがなくなるのです。
愛する人の場合も同じです。
別れた彼女のことが忘れられないというのは、付き合っていた楽しい日々を甘い出して、忘れられないということもあるでしょう。
でも、いっしょにまた過ごせる可能性がゼロであると悟っているならば、こだわりはもちません。
こだわりとは、未来の可能性にしばられていることです。
可能性を思うから、人は不自由になるのです。
未来やこれから先はどうなるかわからない。
未来のことはわからない。これが「未知性」です。
可能性よりも、未知性に心開いているのが、こだわらない生き方ではないでしょうか。
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