2010年ごろは、携帯電話はガラケーの時代でした。
そのころの電車内の光景を思い出せば、乗客の様子はバラエティでした。
友だちと話している人、本や新聞を読んでいる人、居眠りしている人など様々でした。
それでも、電車内は公共の場(public)という概念はありました。
しかし、今はほとんどすべての人がスマホの画面を見ています。
それとともに、電車内で話している人が減ったように思います。
車内は結構静かなのです。
そして、多くの人はスマホで自分の世界に没入しているのです。
それとともに、、人びとの中から「公共」という概念が消えていくように感じます。
スマホを見るのは、自分の世界に入り込んで、他者との関係とは無縁の世界にいるのです。
スマホを見ながら、前から人が歩いてきます。
わたしとぶつかりそうになりますが、寸前のタイミングで、かわしていきます。
この場合の私という存在は、ただのよけるべき障害物にすぎないのです。
道路は公共の場。だから自分以外の他者との関係が意識されるので、画面を一人で見つめ歩くのは好ましくないのかもしれません。
でも、いまはたくさんの人が自分の世界に入り込み、このままでは公共という概念は、多くの人から意識されなくなり、消えていくのでないかと思います。
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