漢字の読み書きを覚えたり、九九を覚えたり、歴史上の人物の名前を覚えるのをはじめとして、学習には覚えるしかないものもあります。
それらを学校の先生が、いわゆる「宿題」として子どもに課すことには、十分な意味があります。
また、宿題をすることで家庭学習の習慣が子どもに身につくという効果があります。
とくに子どもが小さいときはそのことが言えます。
放っておくだけで子どもは自ら進んで学習に向かうということは、あまりないでしょう。
だから、宿題には一定の意味があります。
しかし、年齢が進んでも、あいかわらず「〜してきなさい」と強いられると、それは「学習」ではなく「勉強」になってしまいます。
勉強は勉めて(つとめて)強いる(しいる)ことで、子どもによっては勉強は「つらい・しんどい・苦しい」ものになっていきます。
子どもが自分で考えて、判断して取り組んでいくと、それは「学習」(学んで習う)になります。
今の時代やこれからの時代は、言われたことを言われたとおりやっていたらダメなのですから、子どもが自ら学習に向かうようにもっていくべきです。
このことを考えたとき、子どもが小学校高学年以上になったときには、みんなに等しく「〜をしてきなさい」という課題の出し方は変えていく必要があります。
学習が必要だと思う子は何時間もすればいいし、今日はしなくていいと思うならしない日があってもいいでしょう。
また、中学校では中間試験や期末試験の定期試験までに問題集やワークブックを何ページから何ページまで、試験範囲にあわせたテスト勉強として宿題に課して、試験終了日に集め、成績に入れていくということをよくしますが、何十年たっても同じことをしています。
自分で学びたい、進んでも学習する子になるには、画一的な宿題の出し方を変えていかなければなりません。
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