いまの中学校の授業や学習では、生徒が主体的に学ぶ過程を、たいへん重要視しています。
私は子どもの頃から、自然豊かな環境で育ち、大きくなりました。
そのため、自然の中に住む動物に親しんで育ちました。
中学のとき、理科の第二分野で脊椎動物の5種を学習しました。
いわゆる魚類、両生類、は虫類、ほ乳類、鳥類などを体系的に学びました。
これは恒温動物、あれは変温動物、卵生とか胎生、呼吸はえら呼吸、肺呼吸などを学習しましたが、知識が吸い込まれるように身につきました。
動物を扱った1年2学期の中間テスト(理科)は満点でした。
(もっとも、他の分野ではそのような点数は取れませんでしたが。)
そこで、思うことがあります。
自分の興味関心に根づいた主体的な学習は、なによりも切実さが違います。
興味関心がひきつけられ、学ぶことそれ自体が楽しければ、「覚えなければ」と意識しなくても、さまざまな知識や技能がおのずと身についてきます。
このような「結果的に身についた学力」は、頭から抜けていくことがなく、その後の人生のどこかで実を結ぶのです。
ところが、受験や定期考査のための学習は、「意図的につけた学力」と言えます。
過去問を重点的に解くことや試験範囲を集中的に学習してつけた学力は、そのまま生活に役立つことは少ないのです。
短期的な目的がはっきりしているから、試験が終わればその内容は頭から抜けてしまうことが多いのです。
体から湧き起こってくる興味関心は、学びたいという「衝動」であると言えるでしょう。
「ねばならない」という硬直した動機ではない、しなやかな動機です。
人の学習は、学校へ通う時期にとどまるものではなく、社会人になっても、シニア世代に入っても、生涯にわたって続き、「結果的に身についた学力」となります。
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