「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
ふつう私たちは気に留めませんが、なぜ「お気をつけて」なのでしょうか。
映画『マスカレード・ホテル』で、その理由を説明する場面がありました。
でも、お客さまがいったんホテルを出られたら、ホテルマンには無力なので、お客さまの無事を祈る。
お客さまがホテルにいる間、ホテルマンはプロフェショナルとして、精一杯の心遣いをして快適な生活ができるようにもてなします。
でも、お客さまがいったんホテルを出られたら、ホテルマンには無力なので、お客さまの無事を祈る。
だから、「お気をつけて」になるそうです。
このように言っていました。
なるほどと思いました。
専門性というのは、こういうものだと思います。
職場というフィールドにいるときは、その専門性を発揮して、最高のパフォーマンスで活動することが大切なのです。
ちなみに、私の考えですが、「専門性」と「専門職性」は、若干のニュアンスの違いがあると考えます。
たとえば、寿司屋の職人は「専門性」を発揮して、美味しい寿司を握ります。
いっぽう、医師は「専門職性」を発揮して、最高の医療や治療を提供します。
このように、専門性と専門職性を使い分けます。
どちらも専門であるのは共通しているのですが、どう違うかといえば、医師には医師会があり、医師会の見解や提言は社会的に認知され、一定程度の影響力を社会や世の中に対してもちます。
たとえば、新型コロナウイルスへの対策について、自治体は医師会の意見を考慮します。
それでは、教師はどうかと言えば、教師は教育のプロとして専門職性が必要とされるべきというのが私の考えです。
だから、教師が飲酒運転をしたら、懲戒処分があるのです。それだけ社会的影響力が大きいと考えられるからです。
しかし、私の意見では教職の専門職性は、いまだ確立されていないのです。
神戸市の小学校で起こった教師どうしの問題のように、専門職性には遠い面もあります。
でも、教師が教育のプロであれば、親御さんも安心して子どもを学校に預けることができます。
また、子どもの学習や育ちについて、親御さんが先生に相談して、「さすが」と思えるようになるように、教師は専門職性を磨かなければならないのです。
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