みなさんは、「心」はどこにあるかを考えたことがありますか。
おおぜいの人が「心」というのは、その人が固有にもっている精神的なはたらきであり、その人の体の中、つまり内面にあると、平素考えているのではないでしょうか。
そうではなく、「心」はその自分と他者との間にあるのだと、私は思います。
学校では、先生が自分の担当している生徒の問題を同僚の先生に相談します。
たとえば、ある生徒が自分の授業でずっと寝ていて、学習に向かわないという問題です。
そのとき、その相談をかける先生は、生徒の問題ばかりに目を向けていることが多いものです。
しかし、生徒の問題ばかりに目を向けていては、なんの解決にもなりません。
その先生自身が、その子どもに対して何ができるか、どうかかわるかを考えるべきなのです。
「子どもが変わらない」と嘆くのは筋違いであり、その先生自身が自分の教育やその子に対する行動をどう変えていくかが問われているのです。
学校での生徒の問題は、先生とその生徒の間にあるのです。
子育ても同じかもしれません。
「わが子が変わらない」と悩むのではなく、親自身が自分の子育てやわが子へのかかわり方や行動を変えた方がいい場合が多いのだと思います。
そのとき、その相談をかける先生は、生徒の問題ばかりに目を向けていることが多いものです。
しかし、生徒の問題ばかりに目を向けていては、なんの解決にもなりません。
その先生自身が、その子どもに対して何ができるか、どうかかわるかを考えるべきなのです。
「子どもが変わらない」と嘆くのは筋違いであり、その先生自身が自分の教育やその子に対する行動をどう変えていくかが問われているのです。
学校での生徒の問題は、先生とその生徒の間にあるのです。
子育ても同じかもしれません。
「わが子が変わらない」と悩むのではなく、親自身が自分の子育てやわが子へのかかわり方や行動を変えた方がいい場合が多いのだと思います。