私の家の近くには、1本の小さなケヤキの木が生えていました。
それは15年ほど前のことでした。
こんなところにケヤキの木が生えている。
たいして気にもとめていませんでした。
しかし、今は2本に枝分かれして、かなり大きくなり、このままおいていたら、もっと幹が太くなり、背が高くなりそうです。
考えてみると、最初の始まりは一本の木からでした。
目には見えていない地下の根から新しい芽が出てきて、木が増えてきます。
その木の枝から実が落ちて、また新しい木が生えてきます。
こうやって木が広がり、林や森ができたのです。
さて、私たちが生きている世の中や社会、経済は、いま、閉塞感が漂っています。
少子高齢化が進行し、雇用の安定も見込めない、30年前の経済とちがい、イケイケムードではありません。
そんななか、希望をもちなさいと言っても、若い世代には未来が見えにくくなっています。
なんとなくわかる気がします。いまは、人びとが希望をもちにくいのです。
しかし、一本の木がいつか森となって広がるのが想像できなかったことから次のことを思います。
はじめから先が見えていたら面白さがないなではないということを。
暗い闇のなかに、濃い霧の中に、行く道があるのかもしれない。
人は、見えにくい先に何を思うかが大切です。
だから、立ちすくまず、動き出すのです。
希望に続いていくグランドスケッチ、未来予想図を描いていく過程こそが、いま必要となります。
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