中学生になると、家庭で急に口数が少なくなる子が、なかにはいます。
親にすれば、何を考えているかわからないということになります。
これは反抗期に入っているから、反抗しているととらえられやすいものです。
しかし、本人は反抗しているのではなく、自分の思いや気持ちをうまく言葉にして言えないのです。
では、その思いや気持ちとはどんなものでしょうか。
今まで疑問にも思わなかったことでも、理屈が発達して、口がたってくるので、「ほんとうに、そうだろうか」と感じます。
「こんなことをして、何になるのだろうか。ほんとうに意味があるのだろうか」と思い始めます。
また、性の問題が自分の気持ちの中で、大きな存在を占めることもあります。
なにかわけのわからない大きな感情が怒涛のごとく押し寄せてくる。
それは言葉にならないような感情だから、言葉にできないのです。
だから、無口にならざるをえないのです。
そんな中学生とは、教育相談などで話していてもなかなか会話にはなりません。
私にも経験があります。
ほんとうにポツリポツリとしか話しません。
「家では、どうしているの」
「寝てる・・・」
「家での学習はやってるの」
「・・・それなりに・・・」
「学習は楽しいか」
「・・・まあまあ・・・」
こんな感じで、ほとんど会話にもなりません。
ただし、これで終わりではなく、こんな会話をするなかでも大切にしたいことがあります。
「言葉にできない気待ちをもっているのはわかっている。そしてたいへんなことはわかる。でもそれを超えたら大丈夫」というような安心感を与えることができるかどうかです。
この時、相手の子が触れて欲しくないところには、終始踏み込まないのです。
とかく、大人は触れてしまいがちです。
でも、少しでも触れようとするならば、相手は鋭いトゲを張りめぐらし、傷つかないように自分を守ろうとします。
思春期の本質は、パワーです。パワーがものすごく強くなるのです。
それほど強くないと、思春期を乗り越えていけないのです。
そして、いったん、今までの自分をつくりかえ、大人の自分に生まれ変わるのです。
どれほど大きなパワーが必要になるかということです。
そして、つくり変えを自分自身でやっていかなければならないのです。自立に向かうために。
大人ができるのは、そんなたいへんさを受け止め、傍らで寄り添い、見守ることしかできません。
しかし、その寄り添いや見守りは、また大きなパワーをもっています。
力強く寄り添い、見守ることで、思春期の子どもは、その時期を乗り越えていきます。
その態度はほんとうにたくましく、中学生と接する醍醐味は、じつはここにあるのです。
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