箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

人が働くことに思いを馳せる

2021年01月03日 10時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昨年1年間で、新型コロナウイルスは、人と人を物理的に引き離す作用をもっていました。

他者と会話する点、自分が外出する点で、コロナは私たちの行動を控えさせるよう仕向けました。

そうこうするうちに、私たちは考える時間をもつようになり、今までは気づかず、無自覚に過ごしていたことを意識するようになりました。

ただ一点、新型コロナウイルスの感染に怯えながら、「これは生きるのに必要なのか」ということをあらためて意識し始めたのです。

【意識し始めたもの】

・トイレペーパーやマスクは絶対に必要

・消毒液も絶対に必要

・食べるものも必要

・ゴミの回収も欠かせない

・公共交通機関がないと困る

・病院へ行き、命を維持することは欠かせない

・・・・・・・・・・・・・・・

そして、今までは無自覚だったが、じつは大切だと認識し直したものごともありました。


【認識しなおしたもの】

・物資を調達してくれる薬局やスーパー、およびそこで働く人

・ごみを回収してくれる作業、およびその労働にかかわる人

・お客さんを乗せ、時間通りに目的地まで運んでくれり公共交通機関、その仕事に従事する人

・医療の大切さと医療従事者

・・・・・・・・・・・・・・・


そうです。私たちは、無自覚のため平素は気づかない、見えにくい場所や時間帯で働いてくれている人の存在に、あらためて気づかされたのでした。

それだけではなく、その仕事で自らも感染するかもしれないというリスクを受けながらも、がんばってくれている人たちなのだ。

だから私たちは生きることができていると自覚したのです。


その自覚は、コロナ禍の中では、それらに従事する人への負担が重くなり、リスクが高まっていることも、私たちに知らせました。

このようなしくみで、私たちは自分が恩を受けていることを知り、自然と感謝する気持ちが湧いてきたのです。

その気持ちを表したいとなったとき、なかには手紙を書いて渡したり、励まし応援のメッセージを出したりしたのです。


ただ、私も含めて、励まし応援の気持ちは起こるのですが、自分の立ち位置はどこにあるのかと自問します。

自分はコロナ禍の中で、安全な場所に身を置き、「たいへんですね」と傍観しているだけでないのかと。

そのとき、想うのが、中学生に何度か伝えてきた言葉です。

「受けて恩を忘れず、与えて恩を願わず」

コロナ禍の中で、支えてくれる従事者の仕事や活動に感謝して、それを忘れないこと。

その人たちの仕事や活動に思いを馳せること。

仕事に専念できるよう、自分ができることは小さなことでもして、その仕事に従事する人に協力すること。

このような生き方をしたいと、年頭にあたり、思います。















コメントを投稿