差別は必ずしも、相手をやりこめようという目的のある人や悪意のある人がするとは限りません。
差別や偏見、アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)は性別を問わず、誰にもあります。
ブラジル人ならサッカーがうまいと思い込み、相手がブラジルから来た人に、「サッカーが上手なんでしょう」と言う。
言われた側は、「ブラジル人ならみんながサッカーがうまいのかな」と違和感を覚えつつも、「まあ、いいか」と黙ってしまうケースはいわゆる「マイクロ・アグレッション」です。
「小さくて、些細な傷つき」なので、発言が大きく問題になることは少ないのです。
しかし、何度も言われると、言われる側としては、モヤモヤ感が残り、違和感を覚えるのです。
この一例は、発言する側の無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス=ブラジル人ならみんながサッカーがうまい)に端を発しています。
何度も重なると、マイクロ(小さな)で済まない、深い傷つきになります。
そこで、私たちが考えなければならないのは、差別問題を個人の心がけや心のもちように集約させないことです。
心のもちように問題があるから差別が起こることもありますが、差別を生む社会のしくみこそに光があてられるべきなのです。
その点で、学校での人権教育は、差別が起きる社会のしくみを児童生徒が理解し、社会を変えていく方向にかかわり、行動力を育てることが本来の目的です。
法律や制度が不平等であるがゆえに人びとは思い込みやきめつけの価値観を内面化してしまい、そのような社会のしくみの中で差別が起きるのです。
そのことを指導者が知っておき、学校での人権教育を進めていくことが求められます。
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