箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「聴く」は一生懸命な行為

2020年02月07日 08時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ



中学生はときとして友だち関係でトラブルにあい、悩みます。

そのとき、教師はその悩む生徒と面談します。

その生徒は3年生の女子生徒でした。

そして、ひとしきり話をして、帰りぎわにこう言って帰っていきました。

「先生、話をいろいろ聴いてくれて、ありがとうございました」。

その子は、自分のつらい気持ちを聴いてもらい、「ありがとう」という気持ちになり、感謝の言葉を出したのです。

教師はカウンセラーとちがい指導する役割もあります。だから、生徒の話しや思いを傾聴しながら、「こうしたら」とかのアドバイスをしているはずです。

でも、その生徒から出てきた言葉は話をした内容というよりは、聴いてくれたことがありがたかったという点がポイントなのです。

したがって、語った内容よりも聴いた行為が教育的な効果なのだと考えます。

聴くことは英語でhearでなくlistenです。つまり、「聴く」は注意を払い一生懸命きく、いいかえれば能動性をもって、積極的にきこうとすることです。

そもそも、聴くという文字は、書いて字のごとく、相手に「耳」と「目」と「心」を傾けてきくことです。

「目は口ほどにものを言う」と言われるように、生徒に視線を向け、そのまなざしに心が乗っかるのです。

さらに、生徒が話すことに、「そうだったのか」「つらかったよなあ」「それはよかった」という言葉が重なってくると、生徒とモードというか波長が同じになってきます。

このとき生徒の中には「わかってくれている」とか「受けとめてくれている」という安心感が生まれてきます。

そして対話をする中で、生徒はまとまりのつかない、モヤモヤした気持ちや考えが整理されてくることもあります。また、あらたな気づきが生まれることもあります。

気持ちの活力が戻り、勇気が出てくる場合が多いのです。

教師の指導が生徒に伝わるか、伝わらないかは、その生徒との関係に大きく影響されます。

だからこそ、生徒と教師の間の日頃からの信頼関係がたいへん重要になるのです。

(この点で、親御さんとお子さんは日頃からの関係があるのだから、「能動的に聴く」ことが十分にできやすいと思われます。)


さて、その「能動性をもって聴く」ときには、生徒自身が語る個人的な事実(かりにそれが間違ったとらえかたであったり、思い込みであったとしても)に基づくことがポイントです。

その個人的な事実にはかならず感情がついています。

その感情にピッタリとくる言葉をかける。これが難しいのです。(私も失敗することがあります。)相手の感情にピッタリとくるふさわしい言葉を懸命にさがすのです。

具体的に言いましょう。

あるひとりの生徒が近づいてきて、先生に言いました。

「先生、来週から、わたし入院します。手術を受けないといけないから」

このとき、先生は一瞬のうちに生徒の心を読んで、

「そうか。手術で入院か。手術するとなると心配だね。不安やね。先生も心配だ」

という本人の不安な気持ちにジャストミートする言葉をかけることができるかどうかです。

ところが、この生徒の不安な心情にそぐわないような

「それは、たいへんだ。授業を休まないといけないな」

と、いきなりそんな言葉を発すると、生徒は「ええ! そこ?」となり、わかってくれてないとなるのです。

人は理屈ではなく、感情で動くことが多いのです。子どもの感情に寄り添うことから、「わかってくれている」となり、「また相談しよう」と次につながるのだと思います。



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