人はプライドをもつことが多いです。どの人もその年齢なりのプライドをもちます。
中学生も勉強ができるとか、部活で早く走れるとか、楽器が上手に演奏できるという点でプライドをもちます。
プライドは、自分を尊ぶという意味では大切ですが、往々にしてうぬぼれや傲慢になり、よくない意味で使われることも多いものです。
「プライドが邪魔をした」ということもあります。
自分を尊ぶ、うぬぼれになる、どちらも人間の心を表します。
しかし、太宰治の言うプライドは、ちょっと違った視点で、深い意味のある言葉にして表されています。さすがだと、私は思います。
彼は、『東京百景』のなかで、次のように書いています。
「人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか」
これこそが、自分を誇れるというプライドの原点なのだと、私は思います。
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