箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

誹謗中傷は、自分の傷つきから

2021年01月22日 08時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ネット上には、人に対する誹謗中傷が溢れています。

ツイッターやチャットには、個人が他者を攻撃する書き込みをたくさん見かけます。

先日、阪急電車で高齢の男性が絡む人身事故が宝塚線岡町駅でありました。

その影響で、宝塚線は一時運転を見合わせたり、折り返し運転をするなど、帰宅の通勤者、学生に影響が出ました。

宝塚線は復旧後も終日電車の遅れが出ました。

そのことに関するSNS上の書き込みは、「言いたい放題」が目立ちました。

ホームから線路に誤って落下して電車に接触したのか、自ら飛び降りたのか、事実がわからないのですが、「迷惑なことだ」という感想が多かったです。

すると、事故現場に居合わせた人からは、「靴が片方飛んで、線路に転がっていた」という「報告」がありました。

とにかく、無責任な書き込みが多いのです。迷惑であるのは確かかもしれませんが、事故がどういういきさつかわからないところでの誹謗中傷が多いのです。

これについて、私が思うのは次のことです。

人はいつもポジティブな感情だけをもっているのではありません。ときには、ネガティブな感情ももちます。

多くの人は、そのネガティブな感情を本来向けなければならない人や対象に向けずに、より安易な人や対象に向けやすいということです。

電車事故で亡くなった人と自分の間には、利害関係がないので、好きなことを言います。

ネット上での突然の怒りや一見論理的とは言えない中傷や批判は、このようにして起こるのではないかと思うのです。

その書き込みをする側も、別のときに自分が傷ついた思いをもち、癒されない心理でいます。

が、それはふだんはフタをして思わないにしています。

その人は、電車事故と自分が関係なくても,そんな場面に遭遇すると、心のフタが開きます。

自分の癒えていない傷が呼び起こされ、他者との境界線があいまいになり、論理性や分別を飛び越え、攻撃的になるのでないか。

多くのネット上の誹謗中傷の書き込みはこのようにして生まれるのでないかと、わたしは考えます。



学校教育でも同じことが言えます。

いじめは、まさしくいじめる側の子が、平素の学校生活で不満をもっていたり、心を傷つけられた経験をもっていることが多いものです。

それが癒されないままでいると、そのネガティブな感情は、あるきっかけで別の子を対象にして向けられ、いじめに走るのです。

じっさい、学校生活や友だち関係を楽しみ、満足している子は、他の子をいじめたりはしないものです。



私たちはストレスをかかえやすい現代社会で生きている以上、傷つくことは多かれ少なかれあります。

まず、自分が癒やされること。これが他者に攻撃的にならずにすむ秘訣であると言えるでしょう。








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