梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

昭和以前の家庭の構成が精神的、経済的荒廃にブレーキを掛けるのではないか

2011-02-01 08:09:56 | 雑記
急速に高齢化が進む、少子化も顕著になってきている、しかし経済は一向に上向かない。愈々生活は苦しくなり数十年前には考えられない様な事件が頻発する、母親が息子に保険を掛けて殺すと言う事件まで有った、当時の警察は「実の母親は先ず容疑者から外してしまう、捜査の根本から考え直す必要が有るが・・」と絶句に近いコメントだった、一方で「殺してみたかったから殺した、誰でも良かった」とか「むしゃくしゃしたから誰か殺せばすっきりすると思った」「生きていてもしょうがないが自殺する勇気が無かったから無差別に何人か殺せば死刑になると思った」と言う殺人までが起きて来ると果たして死刑が抑止力に成るのかと言う疑問すら湧く。数十年前までは「尊属殺人罪」と言う法律が有った、同じ殺人でも親兄弟子供を殺す事は他の殺人とは区別されていた、無論その親兄弟が大きな障害になって止むを得ない事態もあったので削除されたのだが(果たして削除して良かったのか?)と言う疑問すら湧いてくる、
道徳と言う概念や儒教的教え、無条件に理屈外で教え込まれる宗教的な意識と言うものがどうしても必要なのかも知れない、しかし其れには宗教の自由が必要だが理屈外で排除も働きかねない、元々日本はあらゆる物や現象を司る神が存在した、それに仏教が入ってきて両方が融合する形で進んできた、仏教渡来の原動力には政治的な統率、中央集権の為も有ったがそれなりに熟成した宗教であり庶民の精神的拠所と社会の規範として機能してきた、
中国から朝鮮半島を経由してくる間に儒教の影響で所謂かくぎ仏教と言う形になって更に家族と言う単位を維持するのに優れた教えになったと思う、
敗戦でこの部分が崩壊し始めたが実際に大きく崩壊したのは高度成長による核家族化だったと思う、自由の履き違えと長期政権による政治の滓がこれに拍車を掛ける、嫁姑の関係が嫌だと言う事は充分に分かるが其れを直す方向に行かないで避ける方向に進む
「専業主婦」と言うジャンルは歴史的に見てもこの戦後数十年しかない、庶民は共に働き共に子育てをした、
大きな商家や武士家族はその為の働き手が居て其れなりに経費が掛かった、そしてその働き手が庶民の収入の一部になっていた、
そしていわゆる「奥様」は家計の遣り繰りと管理の責任があり、今の専業主婦と言うのとは若干違う、当然嫁姑の関係も恐らく庶民の者どころではな無かっただろう、
しかし、武家も商家も職人も農民も家族の単位は「家」だった、今女性が良く口にする「私は家と結婚したのではない」と言うのとは次元が違う家である、生まれたら成長し、成人したら働いて子を成し子を育て、有る年齢になったら「家」の雑用をこなし、利害の調整をして子供がその最期を看取る、そして其れが順繰りに続いて来たのだ、
今日の新聞に都内のマンションで耐震基準を持たしていない物が30万戸以上有る、公的な助成をして立替をと言う意見書が提出されたらしい、助成をするのは良いと思うがこの時点で2世代以上の住居を半分以上作る事を義務付ける事をして欲しい
昔のままの同居は流石に抵抗が大きいだろうから玄関と台所と財布は当然別にし、隣り合った所帯で自由に行き来できる扉を設ける、高齢者がリタイアしても家賃負担が少なければ年金でも何とか暮らすことも可能になるだろう、平均年齢が高くなる事で働き盛りの現業世代から子供を預かる事で待機児童の受け皿にも成る部分が有る、又、介護が必要となっても有る程度まではやはり受け皿になる、
何よりも子供の情緒教育に一番大きな効果が期待できるだろう、
立替の推進で建築業界にも雇用が期待出来、高齢者と少なくなった現業層の消費も活性化する、税金を上げる事を前提にするならその使い道を充分に効果有る方向にしてもらわないとならない