昔の農村でのステイタスは持っている田畑の広さや山の広さで決まる、村の役員も其れに加えられるのだが当然その基本的ステイタスが条件である、
このステイタスはそのまま村の力関係でも有りそれはそのまま子供の世界にも適用される。
村は閉鎖的である、「村外から村に入る事の出来るのは殿様か乞食」と言われていた、結束した村民の順序に入るのは最下層か別世界の住人だけ」と言うことだ、
私の父親はこの村の出身だがやはり極貧だったらしい、末っ子だったらしいが正確には何人居たのか知らない、
田畑は殆ど無い上に末っ子なので東京に出て、軍需工場に入った、合っていたのだろう、そこそこの役職まで行ったとらしい、しかし敗戦で職を失って田舎に戻る事に成る、
その前から空襲が酷くなり母親と4人の子供を疎開させていたのだが其れが良くなかった、村の同年輩の男性は殆ど徴収されて戦地に行っているのだが軍事工場の工員である父は免れている上に結構所得は有ったらしい、其れが敗戦で無収入となって戻って来た、出て行って成功し、失敗して又戻ると言うのは最悪の形である、
畑を借りて耕し自分は炭を焼いたり出稼ぎに行ったりして私達(と言っても30年代に残っていたのは私だけだったが)を育てていたが生活保護で何とかと言う状況だった、
私が幼い頃、多分小学校の低学年の頃だったと思う、村祭りの日だった、祭りと言っても村の人間だけの集まりで甘酒とお煮しめを作り大人達は酒を飲み子供達に甘酒とお菓子を振舞う、
祭りは寄付でと言っても会費のような物で運営されているのだが我が家は其れが払えない、母親も父親も顔を出さないが母は甘酒作りや煮付の調理に参加はしていた、
この時同級生が私に向かって「お前のうちは祭りの金も払わないのに甘酒だけのみに来るのか」と皆の前で言われた、その時母は居なかったと思う、私は飲み掛けの甘酒を神社の濡れ縁に置いて帰って来た、彼の家はこの地域では分限者の類にはもう少しと言った家だった、
未だ早い時間に帰って来た私に母が聞いたのでその事を話すと父には言うなとだけ言われた、どんな表情だったか覚えていない、
金の有る無しが人の価値だとすれば私は価値の低い人間になってしまう、子供ではどうにもならないこの事実をを否定しようと(人間の価値は金ではない)とずっと言い聞かせて36歳で結婚するまで生きて来た、
しかし子供が出来、妻が出来るとそうも行かない、何とか家を買うまで頑張ったが其れも手放してしまった、又極貧に近い状況になってしまったが自分で会社を興し、そして駄目になったのだから自分の責任だ、もう一度立ち直ってやる、そう思って居るのだが、最近はどうも心が折れて来た、
仕事では自分の息子の様な年齢の取引相手と話す事が多い、今までは(頭を下げて相手の機嫌を取るのも仕事のテクニックだ)と思えたのだが、最近は(何でこんな若造に偉そうな事を言われなければならないんだ)と感じてしまう、
其れも腹が立つのではなく悲しくなってしまうのだ、自分がどうしようもなく老いてしまったのかと。
何とか事業を成功さてもう一度私の誇りを取り返したいと少し早く眼が覚めてしまった布団の中で思っていた
このステイタスはそのまま村の力関係でも有りそれはそのまま子供の世界にも適用される。
村は閉鎖的である、「村外から村に入る事の出来るのは殿様か乞食」と言われていた、結束した村民の順序に入るのは最下層か別世界の住人だけ」と言うことだ、
私の父親はこの村の出身だがやはり極貧だったらしい、末っ子だったらしいが正確には何人居たのか知らない、
田畑は殆ど無い上に末っ子なので東京に出て、軍需工場に入った、合っていたのだろう、そこそこの役職まで行ったとらしい、しかし敗戦で職を失って田舎に戻る事に成る、
その前から空襲が酷くなり母親と4人の子供を疎開させていたのだが其れが良くなかった、村の同年輩の男性は殆ど徴収されて戦地に行っているのだが軍事工場の工員である父は免れている上に結構所得は有ったらしい、其れが敗戦で無収入となって戻って来た、出て行って成功し、失敗して又戻ると言うのは最悪の形である、
畑を借りて耕し自分は炭を焼いたり出稼ぎに行ったりして私達(と言っても30年代に残っていたのは私だけだったが)を育てていたが生活保護で何とかと言う状況だった、
私が幼い頃、多分小学校の低学年の頃だったと思う、村祭りの日だった、祭りと言っても村の人間だけの集まりで甘酒とお煮しめを作り大人達は酒を飲み子供達に甘酒とお菓子を振舞う、
祭りは寄付でと言っても会費のような物で運営されているのだが我が家は其れが払えない、母親も父親も顔を出さないが母は甘酒作りや煮付の調理に参加はしていた、
この時同級生が私に向かって「お前のうちは祭りの金も払わないのに甘酒だけのみに来るのか」と皆の前で言われた、その時母は居なかったと思う、私は飲み掛けの甘酒を神社の濡れ縁に置いて帰って来た、彼の家はこの地域では分限者の類にはもう少しと言った家だった、
未だ早い時間に帰って来た私に母が聞いたのでその事を話すと父には言うなとだけ言われた、どんな表情だったか覚えていない、
金の有る無しが人の価値だとすれば私は価値の低い人間になってしまう、子供ではどうにもならないこの事実をを否定しようと(人間の価値は金ではない)とずっと言い聞かせて36歳で結婚するまで生きて来た、
しかし子供が出来、妻が出来るとそうも行かない、何とか家を買うまで頑張ったが其れも手放してしまった、又極貧に近い状況になってしまったが自分で会社を興し、そして駄目になったのだから自分の責任だ、もう一度立ち直ってやる、そう思って居るのだが、最近はどうも心が折れて来た、
仕事では自分の息子の様な年齢の取引相手と話す事が多い、今までは(頭を下げて相手の機嫌を取るのも仕事のテクニックだ)と思えたのだが、最近は(何でこんな若造に偉そうな事を言われなければならないんだ)と感じてしまう、
其れも腹が立つのではなく悲しくなってしまうのだ、自分がどうしようもなく老いてしまったのかと。
何とか事業を成功さてもう一度私の誇りを取り返したいと少し早く眼が覚めてしまった布団の中で思っていた