梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画の話、最初の頃

2011-11-15 19:01:06 | 雑記
自分が小学校に入学したのは昭和30年だった筈で、其れまでに見た映画と言えば年に何回か村に廻ってくる映画会と言う物で夏場は小学校の校庭、冬や少し涼しい時期は公民館と言う施設で上映した、今思い出してみるとかなり狭い建物で多分40~50人程度で一杯になったと思う、
どう言う人達だったのか解らないが多くても二人、一人だけでやるの時もあった。
当然モノクロで愛染かつらや東映の股旅物が多く「血風!荒神山」とか「29人の喧嘩侠」とか言う大人向け映画と「漫画映画」と言っていたアメリカのアニメーションが取り混ぜて上映される、頭と切換わりにニュースが流れるのも映画館とほぼ同じだった、恐らく古いフィルムで使用回数が多いのだろう、よく切れたのを思い出す。
夏場の校庭で上映する時は野球用のバックネットに白い布のスクリーンを張って写すので大きな画面で見られるのだが公民館だと距離が無いのでかなり小さな画面だった、
夏の校庭では蚊が多いのと映写機の光に虫が集まってスクリーンの中に蛾の影が右往左往していた思い出がある、
それでもそれぞれ筵や茣蓙を持って来て夢中になってみた、
映画が終えて帰るの道は真っ暗でまだ明かりは提灯の家が殆どで缶詰の空き缶で作ったカンテラだったり、中には全く明かりが無い道を通いなれた感で歩いて帰ることもあった、
金額は幾らだったのだろう、親が払っていたので解らないが現金収入の少ない田舎の事だから大した金額ではなかったのだろう、
客寄せは子供達に学校で知らせたり、器材を運んでくるオート三輪で放送したりして集めて居たのだがあれで成り立つ商売だったのだろうな、
公民館で見た最初の映画はたしか中村錦之助の「源氏九郎、胡蝶剣」と言う名前だったと思うが真っ白な着流しで総髪の錦之助が両手に刀を持って真っ直ぐに立て一杯に手を広げる形だけが覚えている、
市川右太衛門の旗本退屈男もこの頃か、確か鞍馬天狗は嵐寛寿郎だったか、流石に無声映画は見たことは無かった、東映の任侠物は此れより少し後になって一斉を風靡した、特に静岡は清水次郎長の土地だし故郷は森の石松で有名な森町近くだから余計に人気があった、
街の映画館に行くのは中学になってからだった