梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

テロ

2015-11-17 13:17:08 | 雑記
パリで同時テロが起きた、一般人が130人近くが犠牲となった、「シリアの爆撃の復讐である、フランス人は安心して眠らせない」とISIが犯行声明を出したと言う。
「神は偉大なり!」と叫んで銃を乱射し、自爆する、我々日本人にすると偉大な神が人を殺せと言うのがどうしても違和感がある、「神は偉大」である前に「神は寛容」であるのが我々日本人の感覚だ、仏教はそういう意味では「宗教」とは少し違うかもしれないが釈迦も仏も許す事が基本にある、人は愚かで間違いを起こす、それを自覚させる事で人を仏の位に導いてゆく、仏を信じなければ信じるまで許し、導き覚醒するまで待つ、
原始仏教ではカリスマ的な神格者はいない、生き方に目覚めた覚醒者がいるだけである、ブッタと言う言葉自体「覚醒した者」と言う意味であり彼は釈迦族のシッタルーダと言う一人の人間である、覚醒者を仏と言う形にしたのは釈迦の教えを分かりやすく多くの人に広めるためであって仏教の教えでは寓話的に語られていたのがいつの間にか実体化する形になった、イスラムで「神」は偉大で彼の言葉に従わない者は「殺せ」としたのも恐らく信じさせる方法論だったのではないだろうか、実際に「我を信じない者は殺戮しろ」と言うのは教えでは無い、スタンスは独裁者と同じである、
欧米諸国で宗教の多くを占めているのはキリスト教だろう、旧約聖書はモハメッドと同じユダヤ教の流れでモーゼが契約した神はやはり形はなく「声」があったとされている、しかしその後イエスキリストが著したのは「苦難は自らが背負う」と言う寛容の姿勢だったはずだ、「苦難は神の試練」だとするのは旧約聖書の中に多く出てくる、しかしコーランでは出ないのだろうか?他の神を認めないのはイスラム教が著しいがキリスト教もある時代は「十字軍」等と言う名目で神との契約を広めると言う名目で世界に軍隊を遠征していたが実際は派遣ではなく「覇権」の手段だった、方法としての宗教だからゆるやかに浸透させ、文明の力をもって医療や科学を駆使し徐々に感化していったのだ。
イスラム教も貿易に乗ってかなり広範囲い広がったのだが発祥地域は文明から取り残され懐古主義を「原理主義」と置き換える事で劣等感から逃げていったのだろう、
彼らの宗教観がどうあっても他の宗教が口をはさむ権利はないが力の弱い人間が宗教的階級で虐げられているのはおかしいのではないかと言う事は広い意味では正しいしやはり人間はずべてにおいて平等であると言う事を進めなければなるまい、無論それはイスラム信者の中から出てくるのが本当だが固まっているあの世界で虐げられた女性たちが声を上げるのは不可能だろう、シリアから自由を求めて脱出する人間が多くいる、それを力で抑えるとなれば国際的な非難を浴びるのは当然だろう、それに武器を持って阻止しようとすれば結局対抗上こちらも武器をとる、軍事力では太刀打ちできないから一般市民を標的にして攻撃をする、それに対してさらに強力な攻撃を繰り返すと言うのは救いのない泥沼になるだろう、
形は変わるが先の大戦を「早く終結するには日本人の一般家庭に壊滅的な攻撃をするのが効果で気であった、原爆と東京大空襲は正しい選択だ」と言う当時のアメリカ軍はいまのイスラムゲリラと根本的には同じ考え方だ、いまだに堂々とその事を述べるならこのテロに人道的なコメントを付けるのは目糞鼻糞と言うものだ