フランスによるシリア空爆がエスカレートしている、ISIはシリアを拠点としている事の結果だがそうではないシリア人の方が多いだろう、ゲリラ化したテロ組織をピンポイントで攻撃する事は不可能だ、ゲリラ戦が有効なのは一般民の中に埋没する事で自らの組織より強大な戦力と戦う事を戦略としている、
しかしそれが有効なのはあくまで「一般市民を巻き添えにしない」と言うハーグ条約の精神を順守すると言う条件で成り立つのであり今回の様に友好国軍は都市の爆撃に市民の影響を考慮しないとなればゲリラ戦の威力は半減する、
無論「パリの同時テロ」自体が一般市民を標的にした攻撃であり、アメリカで起きた9・11も全く戦争と関係の無い一般市民が標的になった行為で許されるべき物では無い、
しかし元になった中東では「文化的国の数」より「国土的国の数」が少ない、同じユダヤ教の文化だが「派」が違う事で元々有った国家を吸収統合し派の違う民族を放逐したと言う歴史がある、
其処に更にキリスト教徒と言う強大な勢力がやはり力で介入して来た、
キリスト教もイスラム教も元はユダヤ民族が持っていた「神」を信じる教徒である
神は絶対であり、神に従いそれ以外は許されないと言うのは同じ様だがイエスはその試練を自らが負い「許す」事を教義の中に置いた、しかしモハメッドは「許す」と言う教義は無さそうだ、「神の名において」殺してもかまわない、或いは殺すべきだと言うのが「原理主義者」の言い分の様だ、
中国にはそう言う宗教は無い様な気がする、孔子・老子の教えはあくまで人の生き方、心の持ち方、国の納め方と言う物の様だし儒教も長幼の順を厳格に守ると言う人間の生き方を主軸としている、
中国の歴史は古く多くの民族が割拠して住んでいる為に権力の交代の度追い出された民族を粛清すると言う歴史を繰り返してきた、神が居ない分権力者が「神」であり、追い落とされると次の神が勢力維持の為殲滅する、それ自体「神」の行為である故に当然のことだったのだろう、
日本の神は合議制で有る、国生みの神々は別格で名前は第一位であるが実権は無い、あらゆる所、現象に担当の神々がいてそれを統べるのが天照大神だったり伊邪那美、伊耶那岐命だったりしていて絶対神と言う存在ではないがやはり日本人を産んだ神でもある、
神話で言えばギリシャ神話やローマ神話が此れに近いがあちらはあくまで文学であり神話であるが日本では未だに「神」である
自画自賛する気はないが日本の宗教感が一番妥当なんじゃないかと思うがそれが生活規範になるには人心は荒廃してしまったかも知れないな
しかしそれが有効なのはあくまで「一般市民を巻き添えにしない」と言うハーグ条約の精神を順守すると言う条件で成り立つのであり今回の様に友好国軍は都市の爆撃に市民の影響を考慮しないとなればゲリラ戦の威力は半減する、
無論「パリの同時テロ」自体が一般市民を標的にした攻撃であり、アメリカで起きた9・11も全く戦争と関係の無い一般市民が標的になった行為で許されるべき物では無い、
しかし元になった中東では「文化的国の数」より「国土的国の数」が少ない、同じユダヤ教の文化だが「派」が違う事で元々有った国家を吸収統合し派の違う民族を放逐したと言う歴史がある、
其処に更にキリスト教徒と言う強大な勢力がやはり力で介入して来た、
キリスト教もイスラム教も元はユダヤ民族が持っていた「神」を信じる教徒である
神は絶対であり、神に従いそれ以外は許されないと言うのは同じ様だがイエスはその試練を自らが負い「許す」事を教義の中に置いた、しかしモハメッドは「許す」と言う教義は無さそうだ、「神の名において」殺してもかまわない、或いは殺すべきだと言うのが「原理主義者」の言い分の様だ、
中国にはそう言う宗教は無い様な気がする、孔子・老子の教えはあくまで人の生き方、心の持ち方、国の納め方と言う物の様だし儒教も長幼の順を厳格に守ると言う人間の生き方を主軸としている、
中国の歴史は古く多くの民族が割拠して住んでいる為に権力の交代の度追い出された民族を粛清すると言う歴史を繰り返してきた、神が居ない分権力者が「神」であり、追い落とされると次の神が勢力維持の為殲滅する、それ自体「神」の行為である故に当然のことだったのだろう、
日本の神は合議制で有る、国生みの神々は別格で名前は第一位であるが実権は無い、あらゆる所、現象に担当の神々がいてそれを統べるのが天照大神だったり伊邪那美、伊耶那岐命だったりしていて絶対神と言う存在ではないがやはり日本人を産んだ神でもある、
神話で言えばギリシャ神話やローマ神話が此れに近いがあちらはあくまで文学であり神話であるが日本では未だに「神」である
自画自賛する気はないが日本の宗教感が一番妥当なんじゃないかと思うがそれが生活規範になるには人心は荒廃してしまったかも知れないな