前回廻り切れなかった本門寺の西側に行く、大坊は日蓮上人入滅の寺で別格である
門を入ると白梅と紅梅が今盛り
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少し入った処には古木が有って影を落としていた
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枝垂れの梅もあるが人は誰も居ない
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更に歩くと森の奥に赤い塔が有る、上人の遺灰が納めれれているそうだが建築様式が変わっているらしい
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正面に向かい右手奥に立札がある、将軍家御用絵師の狩野家代々の墓地だと書いてある
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宝篋印塔では良くわからない
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文字からこれが永徳の墓かも
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五重塔を横切って突き当りの岡上を東に進むと永寿院と言う小さな寺が有り、境内に掘割を廻した墓所が有り宝塔が有る、
が葬られている芳心院は生前蛇が異常に苦手でこういう形になったらしい
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本門寺は結構歴史的な事件に登場するし有名な人墓地も多いが全くそのあたりの説明がない
江戸無血開城のおり官軍本軍が置かれていたのだが全く触れても居ない、それはそれで潔いのだが西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会談を行った
松寿院の跡などはかなり歴史的価値が有ると思うのだが現在はスキヤキの今半店舗内となっていて昔はガラス越しでも見る事が出来たのに
今ではそこで食事をしないと眺める事も出来ない、
幕末の重大会議が有った寺の一方で肥後の河上彦斎の墓が有ると言うのもいかにも時代の流れのままと言う仏教院らしい話である、
最近は明治維新の功罪として薩長土肥のクーデターであり、横暴な新政府が大帝国主義を肥大させその結果大戦の敗北につながったと言う論が上がっている
開戦はアメリカの謀略によると言う論もあるがそこに追い込まれる軍国主義一辺倒はそうなのかもしれない
徳川300年の太平は井の中の蛙にしたかもしれないが平和ボケは軍国政治の弊害も無かった
今安倍政権は又薩長の犯した愚を繰り返そうとしているのではないかと幕末歴史好きな小言幸兵衛が考える
門を入ると白梅と紅梅が今盛り
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少し入った処には古木が有って影を落としていた
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枝垂れの梅もあるが人は誰も居ない
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更に歩くと森の奥に赤い塔が有る、上人の遺灰が納めれれているそうだが建築様式が変わっているらしい
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正面に向かい右手奥に立札がある、将軍家御用絵師の狩野家代々の墓地だと書いてある
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宝篋印塔では良くわからない
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文字からこれが永徳の墓かも
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五重塔を横切って突き当りの岡上を東に進むと永寿院と言う小さな寺が有り、境内に掘割を廻した墓所が有り宝塔が有る、
が葬られている芳心院は生前蛇が異常に苦手でこういう形になったらしい
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本門寺は結構歴史的な事件に登場するし有名な人墓地も多いが全くそのあたりの説明がない
江戸無血開城のおり官軍本軍が置かれていたのだが全く触れても居ない、それはそれで潔いのだが西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会談を行った
松寿院の跡などはかなり歴史的価値が有ると思うのだが現在はスキヤキの今半店舗内となっていて昔はガラス越しでも見る事が出来たのに
今ではそこで食事をしないと眺める事も出来ない、
幕末の重大会議が有った寺の一方で肥後の河上彦斎の墓が有ると言うのもいかにも時代の流れのままと言う仏教院らしい話である、
最近は明治維新の功罪として薩長土肥のクーデターであり、横暴な新政府が大帝国主義を肥大させその結果大戦の敗北につながったと言う論が上がっている
開戦はアメリカの謀略によると言う論もあるがそこに追い込まれる軍国主義一辺倒はそうなのかもしれない
徳川300年の太平は井の中の蛙にしたかもしれないが平和ボケは軍国政治の弊害も無かった
今安倍政権は又薩長の犯した愚を繰り返そうとしているのではないかと幕末歴史好きな小言幸兵衛が考える