梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

鯨の竜田揚げ

2019-07-02 09:33:12 | 昭和の頃
商業捕鯨が再開された
しかし殆どの消費者はなじみがなくなって売れるかどうかは不透明だ
IWC脱退による商業捕鯨の再開の是非は何とも言えない
私の子供の頃はあまり鯨肉を食べた記憶はない
昭和38年に上京して日立製作所に勤めたとき食堂で出される定食でかなりの頻度で
「鯨の竜田揚げ」が出たのが鯨を食べたのが一番古い記憶だ、
他のメニューがほとんど覚えていないのに鯨の竜田揚げはよく覚えている
他の連中にはあまり評判はよろしく無かったが私には結構おいしかった、
もっとも自分の子供時代の食生活が一般的ではなかったらしく他の工員から
「豚の餌か!」と言われた食事が結構うまかったこともあるのだが、
鯨のベーコンと竜田揚げは安酒屋でも定番メニューだった気がする、
とは言っても日立にいたのは19歳までだったので城南に引っ越した後友達と飲みに行ったところではあまりなかった気がする
そういえばタクシー会社が幾つかある地域で一膳めしやの様な店でガラスケースからおかずを取るタイプの店で置いてあったな
タクシーのドライバーは明け番の運ちゃんが朝から飲んでいたのでつまみ系が有ったのでそのせいだろうが安かった、
少し遡るが子供の頃静岡の山奥には魚屋がなく殆どは塩漬けの魚を使う、
その中に鯨ならぬイルカの肉があった、自転車か三輪トラックで廻ってくる行商から購入したその肉は黒い皮目と厚い脂の面と赤身の肉が付いた状態で油紙に収まってかなりの大きさで売られていた、
5~6cmに切り分けて塩を洗い流し大根と醤油と砂糖で煮付ける、
今こんなことをやっていたら大変な事になるだろうが当時はテレビもない時代、
イルカの可愛い様子なんかは全く知らない、牛肉ステーキを見て牛の黒い眼を思い出すやつがいないのと全く変わらない、煮物の材料でしかなかった
どんな味だったのかこちらはあまり覚えていないが都会ではどうだったんだろう?
小学校の映画観賞会でモノクロームの捕鯨船団の映画を見た、
キャッチャーボートと母船で構成されて激しい波にもまれながら捕鯨砲打ち母船に引き上げて薙刀のような包丁で解体する、
あの頃はまだ白長須からマッコウがメインだった様な気がする
しかしそんなに日本船団が鯨が絶滅するほどとったとは思えないがなあ