梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

梅雨と道草を喰っていたころの話

2019-07-09 09:32:58 | 昭和の頃
今年は梅雨らしい梅雨時期になっている
梅雨の語源は複数あるらしいが「梅が熟す時期の長雨時期」と言うのが季節的に好きだ、
東京でも屋敷街の庭先に植わっている事もあり、今時期はまだ青い実がついている、
熟す前の青々とした実に生えた産毛に水玉が乗っているのを見るとついもいで食べたくなる、
子供の頃は学校帰りにもいで軽くこすって食べた、
親や先生からは「腹をこわすから絶対にダメだ」と言われていたが大半の男の子は食べていたが腹を壊した奴はいなかった気がする、
パキっと前歯で噛み取って食べると酸っぱい味が口いっぱいに広がるがそれが美味かった、
梅干しにするには色が変わってからだが実が少しずつ黄色になると取る事は無かった、
その頃からはスモモが大きくなるのでこちらに変える、
スモモはやはり青い時より黄色に売れた頃の方がずっとおいしいがその分もいでいる処を見つかるとこっぴどく叱られた、
あの頃の子供は(我が田舎だからかもしれないが)買い食いと言う事はしなかった、と言うより村には店がない、小遣いも貰える子供はほとんどいない
育ち盛りの腕白である、しょっちゅう腹が空いている、
結果的に野山の果物、食べられる野草、時には畑の野菜を喰う、文字通り道草を喰う
元は馬か牛の事らしいが野生の餓鬼はほぼ変わらない、
春先の「虎杖」や「ギッチー」だがこれは地方によっては「ギチギチ」とも言うが一般的に「スイバ」と言うらしい。酸い葉と言う意味らしいがこれが学名かどうかは知らない
この野草はかなり酸っぱい、酸性度が高いらしく木の葉でコインを磨くと綺麗に磨かれる
こんなものを平気で食べていたので大抵の物は問題なく消化してしまう、
大体腹下しなんぞは殆どなかったがそれでも年に何回かはあったと思うが置き薬のどこで作ったかわからない薬でおさまってしまう、
置き薬と言えば自転車で年に何回か廻ってくる薬屋がいて解熱剤から腹薬、軟膏、膏薬なんかを預けて行って次に廻って来た時に使った分を補充してその分を支払うと言うシステムで「越中薬売」のスタイルだが何しろ使わなかったら1年以上も置きっぱなしだから飲んだら腹をこわすんじゃないかと言う代物もあったと思うが村の家は略これある、
風邪に「とんぷく」解熱剤に「ミミズ一風散」と言うのがあった、腹下しには見た通りの「赤玉」と言うやつだった、
薬屋と親父が仲良くなって泊まって行くことが有ったが此奴が結構の呑兵衛で親父と酔っ払ったとき「白い粉薬はうどん粉と重曹だ」とばらしていたがそれでも置いてあった、
現在は衛生的でいい時代だろうが「無菌栽培」だと本当に雑菌に弱くなる、自慢じゃないが大抵の雑菌は免疫ができている、
女房がピロリではないかと言われた時も自分はどうやら消化してしまったらしい